「三十年戦争」の版間の差分

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スウェーデン[[ヴァーサ王朝|ヴァーサ家]]のシギスムンド([[ジグムント3世]])[[ポーランド・リトアニア共和国]]王は、[[1592年]]にスウェーデン王に即位したが、カトリックであったシギスムンドはスウェーデンで[[対抗宗教改革]]として強硬なカトリック化政策を行った<ref name=poland135>『ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社、p.135</ref>。[[1599年]]、カトリック化政策に反発した[[ルーテル教会|ルター派]]はプロテスタントのカール([[カール9世 (スウェーデン王)|カール9世]])を擁立してシギスムンドを廃位し、カールは軍を組織し、シギスムンドを破った。
 
カールは[[1600年]]の[[リンシェーピング|リンシェーピングの血浴]]でカトリック派の貴族を[[粛清]]した<ref name=hokuou>[[#百瀬・熊野・村井編 1998]],p146-147</ref>。
 
シギスムンド王に反発した[[ヤン・ザモイスキ|ザモイスキ]]宰相は1605年、イエズス会士の追放や王権の制限を要求して内戦となったが、国王軍の勝利に終わった<ref name=poland135/>。
 
1605年、[[モスクワ大公国]]の[[動乱時代]]に乗じて[[ポーランド・リトアニア共和国]]が介入した([[ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年)]])。戦争で共和国の財政は弱体化した
 
 
スウェーデンが[[1605年]]に[[リヴォニア]]の[[リガ]]に侵攻したが陥落に失敗、ポーランド・リトアニア軍に[[キルホルムの戦い]]で惨敗した。
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1628年、ヴァレンシュタインがシュトラルズント港を包囲したため、スウェーデン軍が派遣され、1629年9月のアルトマルクの休戦条約をスウェーデンとポーランドは結び、リボニアとプロシア諸港はスウェーデンのものとなった<ref name=Sigfrid/>。
 
 
=== デンマーク戦争 ===