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{{Infobox Settlement
|official_name = アネホ
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|settlement_type =都市
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|population_as_of =2012年
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}}
'''アネホ'''又は'''アネショ'''(Aného)は、[[トーゴ]]南部の[[沿岸州 (トーゴ)|沿岸州]]の都市。
[[2012年]]の人口は2万8544人<ref>[http://archive.is/20130428141040/http://www.world-gazetteer.com/wg.php?x=&men=gcis&lng=en&des=wg&srt=pdnn&col=abcdefghinoq&msz=1500&geo=-207]</ref>。
[[ギニア湾]]に面する港町である。
街は[[ギニア湾]]と[[潟]]である[[トーゴ湖]]の間に広がる狭い平地の上に位置する。
首都[[ロメ]]からは東に43km離れている。
海岸部の狭いトーゴにおいては、ロメに次ぐ貴重な海港となっている。
旧名は'''プティ・ポポ'''と呼ばれ、[[15世紀]]から[[16世紀]]ごろには[[ポルトガル人]]の[[奴隷貿易]]の基地となっていた。
その後[[フランス]]がこの地域に進出し、[[1626年]]と[[1767年]]、[[1865年]]から[[1883年]]にはこの街に基地をおいたが、いずれも撤退した<ref>[[田辺裕 (地理学者)|田辺裕]]、[[島田周平]]、[[柴田匡平]]、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』、朝倉書店 p406 ISBN 4254166621</ref>。
その後、[[1884年]]に西のトーゴ村([[トーゴヴィル]])に[[ドイツ]]の[[グスタフ・ナハティガル]]が基地をおくとその影響下に入り、1880年代にはアネホに[[ドイツ領トーゴラント]]の首都がおかれたが、[[海岸侵食]]によって港湾の状況が悪化し、首都は[[1897年]]には西のロメへと移転した。
街の主産業は[[農業]]および[[漁業]]である。ロメまではかつて[[鉄道]]が走っていたが、[[1987年]]に廃止された。しかし[[ガーナ]]の首都[[アクラ]]からロメ、アネホ、[[ベナン]]の[[ポルトノボ]]や[[コトヌー]]を通り[[ナイジェリア]]の旧首都[[ラゴス]]へと抜ける、ギニア湾岸を各国の首都をつないで東西に走る幹線道路がこの街を走っている。アネホはこの地域の[[ヴードゥー]]の中心地でもある。アネホにはドイツ植民地の首都時代に立てられたアネホプロテスタント教会(1895年建設)や、[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]のアネホ[[教区]]のアネホ聖ペトロ聖パウロ教会(1898年建設)といった古い教会群がある。これらの教会群はAgglomération Aného-Glidjiとして2000年12月12日に[[世界遺産]]の文化遺産暫定リストに登録された<ref>[http://whc.unesco.org/en/tentativelists/1505/ Agglomération Aného-Glidji - UNESCO World Heritage Centre]</ref>。
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