「ゼネラルマネージャー」の版間の差分

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メジャーリーグでは、かなり昔から言葉としてあったようで、[[1962年]][[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]10月号の[[中澤不二雄]]が書いた記事の中に、前に[[ニューヨーク・ヤンキース|ヤンキース]]が日本にきたとき、当時監督だった[[ケーシー・ステンゲル|ステンゲル]]が、中澤の来期構想を聞いた質問に対して「それは僕にはわからない、総支配人(ジェネラルマネージャー)のワイズに聞いてくれ」と言ったという記述がある。さらに、金を出すのはオーナー、選手を取ったり、チームの構想を作るのはジェネラルマネージャー、実戦の指揮をとりチームを強くするのは監督、との記述もされている(文藝春秋にみるスポーツ昭和史 第二巻 P244、[[文藝春秋]]、1988年8月)。
 
=== 海外サッカーにおけるゼネラルマネージャーGM ===
日常の実務的なクラブの経営を仕切っている。ただ、多くのクラブでは実質的な権限をオーナーが握っている場合が多い事から重要な場合においてはオーナー自身がクラブの重要な意思決定を下している。なお、各クラブによっては名称がスポーツディレクターや強化ディレクターなどと呼ぶ場合もある。
 
=== 日本におけるゼネラルマネージャーGM ===
====プロサッカー(Jリーグ)====
日本では[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]発足を念頭に[[古河電気工業サッカー部]]を母体にクラブチーム化された[[ジェフユナイテッド市原・千葉|東日本JR古河FC]]に[[1991年]]にポストが作られ、それに就任した[[奥寺康彦]]が第1号とされている。[[1993年]]にJリーグが開幕し、2年目のファーストステージでノーマークの当時最西端のチーム、[[サンフレッチェ広島]]が優勝した。このため当時、取締役強化部長兼・総監督という役職名で、長年にわたりチームの一切の編成を担った[[今西和男]]が脚光を浴び[[テレビ番組|テレビ]]、[[雑誌]]に大いに取り上げられた。この頃、[[二宮清純]]が今西を「ゼネラルマネージャー」と表現している。サンフレッチェ優勝を伝えた1994年の[[写真週刊誌]]「[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]」6月28日号9頁に、今西を「ゼネラルマネージャー」と紹介した記述が見られる。今西の役職は、正式には総監督であり「ゼネラルマネージャー」という役職ではなかった<ref>[http://archive.fc-gifu.com/news/2007/01/post_61.php 今西 和男ゼネラルマネージャー就任のお知らせ|最新情報|FC岐阜]</ref>。「[[サッカー批評]]」は、今西を「日本の元祖ゼネラルマネージャー」と評している<ref>「[[サッカー批評]]」44、2009年9月10日発行、[[双葉社]]、70頁。</ref>。ゼネラルマネージャーという言葉が定着したのはこの前後と見られ、[[1994年]]頃のサッカー誌などの媒体には「ゼネラルマネージャー」という活字がたくさん使われている。
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bjリーグに対抗するべく旧JBLを再編する形で設立された[[日本バスケットボールリーグ]](新JBL)では、元アメリカンフットボール選手の[[山谷拓志]]が[[リンク栃木ブレックス]]初代GMを務め、2008年度から2年連続で[[日本トップリーグ連携機構]]加盟リーグのGM等に贈られるトップリーグトロフィーを受賞した。
 
2016年にbjリーグ[[ナショナル・バスケットボール・リーグ (日本)|ナショナル・バスケットボール・リーグ]](NBL)を統合して発足された[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]](Bリーグ)では多くのクラブでGMあるいはそれに類する役職が置かれているが、社長やHCが兼任するクラブや単独のGM職を置くクラブ、チーム統括などがGMの役割を果たすクラブなど様々である。また、GMに次ぐ役職としてアシスタントGMを設置するクラブも存在する。
 
=== 主なGM職担当者 ===
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*NPB
**高田繁([[北海道日本ハムファイターズ]])
**[[中村勝広]]([[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ→オリックス・バファローズ]]、肩書は「球団本部長」。[[阪神タイガース]] 2012年9月 - 2015年9月23日
**[[広岡達朗]]([[千葉ロッテマリーンズ]] 1994年 - 1996年)
**[[村上忠則]]([[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]])
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**[[山田正雄 (野球)|山田正雄]](北海道日本ハムファイターズ 2008年-2014年12月。GM退任後はスカウト顧問)
**[[原沢敦]](読売ジャイアンツ、球団代表兼任 2011年11月 - 2015年5月)
**[[中村勝広]]([[阪神タイガース]] 2012年9月 - 2015年9月23日)
**[[落合博満]]([[中日ドラゴンズ]] 2013年10月-2017年1月)
**[[堤辰佳]](読売ジャイアンツ、編成本部長兼任 2015年5月 - 2017年6月12日(成績不振の責をとって辞任))