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|website = http://www.ramthacity.gov.jo {{リンク切れ|date=2016年5月}}
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'''アル・ラムサ'''<ref>原音に一番近いカナ表記は'''アッ・ラムサー'''だが、本項では、サッカー関係の報道などで表記されることの多い'''アル・ラムサ'''と表記する。他に、'''アッ・ラムサ'''や'''アル・ラムサー'''とも表記し得る。</ref>({{lang-ar|الرمثا}} {{lang|-la|Al-Ramthā / Ar-Ramthā}})は[[ヨルダン]]の[[イルビド県]]の都市。<br>面積は{{val|40|u=km2}}で、2010年の人口は12万365人。砂漠植物のアル・ラマス({{lang-ar|الرمث}})に因む。[[ローマ帝国]]時代には「ラマサ」と呼ばれた。
 
'''アル・ラムサ'''<ref>原音に一番近いカナ表記は'''アッ・ラムサー'''だが、本項では、サッカー関係の報道などで表記されることの多い'''アル・ラムサ'''と表記する。他に、'''アッ・ラムサ'''や'''アル・ラムサー'''とも表記し得る。</ref>({{lang-ar|الرمثا}} {{lang|la|Al-Ramthā / Ar-Ramthā}})は[[ヨルダン]]の[[イルビド県]]の都市。<br>
面積は40km2で、2010年の人口は12万365人。<br>
砂漠植物のアル・ラマス({{lang-ar|الرمث}})に因む。<br>
[[ローマ帝国]]時代には「ラマサ」と呼ばれた。
[[File:Ramtha Plane.jpg|left|thumb|200px]]
 
==歴史==
[[File:Ar Rantha Byzantine site.jpg|thumb|200px|left|アル・ラムサの[[東ローマ帝国]]時代の遺跡]]
ローマ帝国時代には、植民地間の連絡都市として活用された。
 
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[[1596年]]、[[オスマン帝国]]シリア州に所属していた。
<ref>Hütteroth and Abdulfattah, 1977, p. 214</ref>
 
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[[File:Ar Rantha Byzantine site.jpg|thumb|200px|left|アル・ラムサの[[東ローマ帝国]]時代の遺跡]]
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==経済==
産業の中心は輸出入である。<br>アル・ハサン産業団地の商品は[[アメリカ]]や[[ヨーロッパ]]に輸出される。
アル・ハサン産業団地の商品は[[アメリカ]]や[[ヨーロッパ]]に輸出される。
 
==文化==
* 結婚式や公の場所で用いられる詩が継承されている事で知られる。<br>
* [[ダブケ]]と呼ばれる踊りが有名である。<br>
* [[ミジュウィズ]]を用いた音楽が盛んである。<br>
* 有名な演奏家にはNayef El-Zubi、Hussein Al-Salman、Lil ZeeJo、Anwar alshare、Mitaab Al-Saggarが居る。
 
==スポーツ==
* [[サッカー]]の[[アル・ラムサSC]]は[[ヨルダンリーグ]]に所属する。<br>
* [[イッティハドゥ・アル・ラムサ]]はヨルダン・サッカー・リーグの1部に所属する。
 
== 教育 ==
* {{仮リンク|ヨルダン科学技術大学|ar|جامعة العلوم والتكنولوجيا الأردنية|en|Jordan University of Science and Technology}}には大規模な大学病院が付属する。
 
==脚注==
{{reflist|25em}}
 
==関連資料==