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'''桓宗'''(かんそう、[[1177年]]-[[1206年]]、在位[[1193年]]-[[1206年]])は[[西夏]]王朝の第六代皇帝。[[仁宗 (西夏)|仁宗]]の長子。名は李純祐。
 
有能でもなければ無能でもない普通の君主で、その治世は無難なく平穏なものであった。しかし[[1205年]]から[[チンギス・ハーン]]率いる[[モンゴル]]軍の侵攻が始まると、その治世は一気に不安定化した。このため、桓宗が[[金 (王朝)|金王朝]]と共同してモンゴルに対抗しようとしたが、それに反対した生母・[[羅太后]]と甥の李安全(後の[[襄宗 (西夏)|襄宗]])によって1206年に廃され、まもなく流された配所にて病没したという([[暗殺]]説あり)。
 
 
[[zh:夏桓宗]]
[[Category:西夏|かんそう]]
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