「ピーター・L・バーガー」の版間の差分

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[[1955年]]から[[1956年]]までドイツの都市[[バート・ボル]]のプロテスタント学校に勤務した後、1956年から[[1958年]]まで[[ノースカロライナ大学チャペルヒル校|ノースカロライナ大学]]助教授。1958年から[[1963年]]まで[[ハートフォード (コネチカット州)|ハートフォード]]神学校の助教授。その後、ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチ、[[ラトガース大学]]、[[ボストンカレッジ]]の教授職を歴任した。[[1981年]]以降は[[ボストン大学]]教授として社会学と神学を教えた。[[1985年]]以降、同大学附属の経済文化研究所Institute for the Study of Economic Cultureにも勤務。世界各地の経済的発展と社会文化的変化の関係を包括的に研究している。
 
バーガーの作品はいわゆる[[現象学的社会学]]ないし[[理解社会学]]の思潮に属している。バーガーはこの考え方をニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチ時代に教授であった[[アルフレッド・シュッツ]]から学んだ。トーマス・ルックマンも当時の学友である。なおバーガーの亡くなる4日前に、『故郷喪失者たち』『社会学再考』の共著者ケルナーも亡くなっている[http://lebenswege.faz.net/traueranzeige/professor-dr-hansfried-kellner/50652829]。ケルナーはバーガーの妻の弟で(ピーター・バーガー『退屈させずに世界を説明する方法』[[森下伸也]]訳、2015年、新曜社,p.103)、バーガーの息子[[トーマス・バーガー]]が大学時代にフランクフルト大学([[ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学]])に留学した際の受け入れ教員でもある[http://www.bu.edu/pardeeschool/files/2012/07/CV_Berger_Thomas.pdf]。
 
 
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