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'''孟特穆'''(メンテム、モンティムール、[[満州語]]:{{mongol|ᡩᡠᡩᡠ<br>ᠮᡝᠨᡨᡝᠮᡠ}},転写:dudu
== 概略 ==
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これらの伝説のもとになったのは、[[明|明朝]]や[[李氏朝鮮|朝鮮]]の記録に見える[[女真族]]の孟哥帖木児と推測される。イラン・トゥメン(Ilan tumen、移蘭豆漫)の一部であるオドリ(Odoli、鄂多理、斡朶里)の城主であり、[[洪武]]24年([[1391年]])頃に斡木河(現在の[[会寧市]])に入り、[[永楽 (明)|永楽]]4年([[1406年]])頃に[[建州]]左衛指揮に任命された。朝鮮の記録ではその一族は「童氏」として知られ、清朝の記録では「佟氏」である。
朝鮮の記録は『満州実録』(Manju i
== 参考文献 ==
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