「サッカー日本代表」の版間の差分

編集の要約なし
2005年時点では、試合だけでなく合宿なども含めた日本代表全活動期間の日当が1万円、勝利した場合は勝利給(勝利ボーナス)が全額支給され、引き分けだと半額、負ければ勝利給ゼロで日当のみが支払われた。勝利給は試合の重要性によって異なり、[[キリンカップサッカー|キリンカップ]]のような親善試合では10万円、[[AFCアジアカップ|アジアカップ]]などの公式戦で30万円、[[FIFAワールドカップ]](W杯)アジア予選では50万円だった<ref>{{cite news|archiveurl=http://web.archive.org/web/20051231022623/http://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_j/00972.html|url=http://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_j/00972.html|title= 日当、勝利給、賞金…日本代表まるごとハウマッチ|date=2005-05-13|archivedate=2005-12-31|newspaper=スポニチ|author=矢内由美子|accessdate=2012-07-19}}</ref>。成績が良ければプレミア給も追加して支給され、[[2006 FIFAワールドカップ・アジア予選]]を突破した際には、日本代表選手1人当たり約1000万円が支給された。[[AFCアジアカップ2004]]で日本代表が優勝した際には、当時主将のCB[[宮本恒靖]]が「ベンチの選手にもボーナスを」と訴え、ベンチ入りしたものの出場機会はなかった選手も含め全員に一律で優勝ボーナス300万円が支払われた(2004年までは出場実績に基づき勝利給の支給額を変動)。海外クラブに所属している日本代表選手には、ビジネスクラス相当の移動費が支給され、上位のファーストクラスを利用する場合は、その差額は選手の自己負担となる。これらの日本代表選手が受け取る給料はJFAが選手の銀行口座に振り込む。また選手の負傷に備えて、保険がかけられている。日本代表選手が所属するクラブに対してJFAは選手1人につき、1日1万5千円の「クラブペイメント」を支払っていた。
 
2010年度は「日本代表選手ペイメント規定」に基づき、代表選手への日当やボーナスが支払われた<ref name="2010年度日本代表選手ペイメント">{{cite web|url=http://www.jfa.or.jp/jfa/topics/2011/25.html |title=日本代表選手ペイメント問題に対する当協会の考え|author=日本サッカー協会|date=2011-02-22|accessdate=2012-07-19}}</ref>。日当(1日1万円)と勝利給の扱いは2005年時と同様。勝利給は[[2010 FIFAワールドカップ|W杯本大会]]が200万円、[[2014 FIFAワールドカップ・アジア予選|W杯アジア予選]]・[[AFCアジアカップ2011|アジアカップ本大会]]・[[FIFAコンフェデレーションズカップ2013|コンフェデ杯]]が30万円、[[東アジアサッカー選手権|東アジアカップ(旧東アジア選手権)]]・[[AFCアジアカップ2011 (予選)|アジアカップ予選]]・[[キリンカップサッカー|キリンカップ]]・[[FIFAランキング|FIFAランク]]10位までのチームとの[[テストマッチ|親善試合]]が20万円、FIFAランク11-20位までのチームとの親善試合が15万円、FIFAランク21位以下のチームとの親善試合が10万円となった。また、大会ボーナスも、[[FIFAワールドカップ|W杯本大会]]であれば、優勝5000万円が最高額で、ベスト16(=決勝ノックアウステナメント進出)で600万円等各大会ごとの各成績別に細かく規定されている。以上を出場実績に関係なく該当試合及び大会に選出された日本代表選手全員に一律に支給する。他、[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選|W杯アジア最終予選]]出場選手のみが対象のW杯本大会出場権獲得ボーナスがあり、出場実績で変動し最高1000万円まで支払われ、更に貢献度が高い選手には特別報酬100万円または200万円が追加して支払われる。日本代表選手が所属する日本国内のクラブに対してJFAは選手1人につき、派遣費1日5万円、傷害等による出場不能期間の補償1日3万円の「クラブペイメント」を支払っている。
 
日本代表選手の給料の支給方法についてはJFA技術委員会で決めているが、その時の日本代表監督の意向が反映される。[[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選]]では出場給の「実績変動制」が導入された。1試合につき、出場した選手に80万円、ベンチに入った選手に60万円、ベンチ外の選手に40万円(金額はいずれも推定)が支払われた<ref>{{cite web|archiveurl=http://megalodon.jp/2010-0518-0203-55/hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20090811-OHT1T00258.htm|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20090811-OHT1T00258.htm|title= 岡田“格差”ジャパン!W杯予選出場給を3段階支給|newspaper=スポーツ報知|date=2009-08-11|archivedate=2010-05-18|accessdate=2012-07-19}}</ref>。しかし、W杯出場権獲得ボーナスはなかった。これについて、[[犬飼基昭]]JFA会長(当時)は「南アフリカW杯本大会ベスト4が目標である以上、アジア予選通過はその対象にならない」と述べている。[[2010 FIFAワールドカップ]]では「日本代表選手ペイメント規定」に基づき、総額約2億5000万円が日本代表選手に支払われた<ref name="2010年度日本代表選手ペイメント" />。
:初出場となったこの大会では、グループリーグで[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]、[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]、[[サッカージャマイカ代表|ジャマイカ]]と対戦。アルゼンチン以外の3チームがワールドカップ初出場というグループであったが、アルゼンチンとクロアチアにはともに0-1で敗れて早々とグループリーグ敗退が決定。最終戦となったジャマイカ戦では[[中山雅史]]がチーム初得点こそ挙げたものの1-2で敗戦し、グループリーグ3戦全敗で本大会を終えた。
;[[2002 FIFAワールドカップ|2002年大会]]
:開催国のため予選免除での出場。1990年代のサッカー界の改革の元で育成され各年代の国際大会で好成績を収めた選手達が中心になったチームになったが、代表選考の際に世間からは選出当確と思われていた[[中村俊輔]]が落選したことには大きく波紋を呼んだ。本大会グループリーグ初戦の[[サッカーベルギー代表|ベルギー]]戦を2-2の引き分けで初の勝点を獲得。続く第2戦では[[サッカーロシア代表|ロシア]]に1-0で勝利して本大会初勝利を収め、最終戦で[[サッカーチュニジア代表|チュニジア]]に2-0で勝利し2勝1分の一位で初の決勝ノックアウステナメント進出を決めた。一次リーグの一位突破および無敗突破はいずれも同日に[[サッカー大韓民国代表|韓国]]も達成し、アジア史上初であった。決勝ノックアウステナメント1回戦では[[サッカートルコ代表|トルコ]]に0-1で敗れ、ベスト16という成績で地元開催のW杯を終えた。
;[[2006 FIFAワールドカップ|2006年大会]]
:2大会ぶりに予選に参加し、[[2006 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選で6戦全勝、最終予選で5勝1敗の成績で1位通過し、3大会連続の本大会出場を果たすとともに、時差の関係でワールドカップ地区予選突破第1号となった。前回大会で活躍した[[中田英寿]]や[[黄金世代]]の選手達が20代後半〜30代前半と円熟期を迎え、更に、前回大会には出場の叶わなかった[[中村俊輔]]や[[高原直泰]]が加わったチームは「史上最強」と謳われ、最終予選では視聴率が40%を超える試合が続出する等、日本サッカーファンの期待はかつて無い程大きく高まっていた。しかし監督の[[ジーコ]]が守備の約束事を示さなかった事で、大会直前に選手間で話し合った所、プレスの掛け所を巡って意見が割れた事でチームワークに亀裂が入ったまま本大会に入り<ref>『週刊サッカーダイジェスト』No.1291、日本スポーツ企画出版社、(2014年7月15日)、2014年7月1日、p83。</ref>、第1戦([[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]戦)では、中村のゴールで先制したものの1-0から試合終了前10分間に3失点して逆転負けを喫し、第2戦([[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦)では、FW[[柳沢敦]]が後半5分に訪れた最大の決定機を外した事でPKをセーブしたGK[[川口能活]]を中心とした守備陣の頑張りを見殺しにし0-0で引き分け、第3戦([[サッカーブラジル代表|ブラジル]]戦)ではW杯通算得点数で[[ゲルト・ミュラー]]超えがかかった[[ロナウド]]に2ゴールを決められる等1-4と大敗。グループリーグを最下位で終えた。
;[[2010 FIFAワールドカップ|2010年大会]]
:[[2009年]][[6月6日]]の[[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア最終予選]]において[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]に勝利して4大会連続4度目の本大会出場を決め、2006年大会に引き続き2大会連続で予選突破第1号となった。しかし、内容が伴わない試合が多かった上に、本大会前の親善試合で4連敗を喫したことからサポーターやマスコミから酷評され続け、監督の[[岡田武史]]及び[[日本サッカー協会]]が掲げた「ベスト4」という目標は「非現実的」と批判される等、かつてないほどの低評価の中で本大会に臨むこととなった。そこで岡田武史はワールドカップ直前に急遽[[中村俊輔]]、[[内田篤人]]をさげて、本選2試合前から試された4バックにアンカーを置く守備的布陣を取ることに変更した。すると、これが功を奏し、初戦の[[サッカーカメルーン代表|カメルーン]]戦を1-0で勝利して他国開催でのW杯初勝利を挙げると、第2戦の[[サッカーオランダ代表|オランダ]]戦こそ0-1で敗れたものの最終戦で[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]に3-1で勝利し、通算2勝1敗の2位で2大会ぶりのグループリーグ通過を果たした。2勝以上を挙げた大会が2度あるアジア初の国となった。また日本が初戦で勝利を飾れた唯一の大会である。決勝ノックアウステナメント1回戦では[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ]]と対戦し、0-0のまま延長戦でも決着せずPK戦の末3-5で敗れベスト16で敗退。目標のベスト4とはならなかったが、オランダやパラグアイ等の強豪を相手に4試合を2失点に抑えた堅守により、大きな結果を残した。
;[[2014 FIFAワールドカップ|2014年大会]]
:[[2013年]][[6月4日]]、[[埼玉スタジアム2002]]での[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選|アジア最終予選]]第7戦(第8節)において[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]と引き分け、5大会連続5度目の本大会出場が決定。初出場から5大会以上連続出場は[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]、[[サッカーイングランド代表|イングランド]]に次いで史上3か国目となり、2006年・2010年大会に続き3大会連続で予選突破第1号となった。
:地元開催となった当大会では、初戦で北中米カリブ王者[[サッカーカナダ代表|カナダ]]を破りコンフェデレーションズカップ初勝利を上げると、第2戦でアフリカ王者[[サッカーカメルーン代表|カメルーン]]を撃破し、グループリーグ突破を決めた。第3戦では、南米王者[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]相手に善戦して引き分け、グループリーグ1位となった。準決勝では、大雨の中、[[中田英寿]]のFKが決勝点となり、決勝進出。決勝では、惜敗したものの、男子日本代表がA代表に於けるFIFA主催の大会で決勝に進んだのは、史上唯一の快挙である(2015年現在)。
;[[FIFAコンフェデレーションズカップ2003|2003年大会(第6回)]]
:初戦でオセアニア王者[[サッカーニュージーランド代表|ニュージーランド]]に大勝するも、欧州王者[[サッカーフランス代表|フランス]]、南米王者[[サッカーコロンビア代表|コロンビア]]に連敗。グループリーグ3位となり、2大会連続の決勝ノックアウステナメント進出はならなかった。
;[[FIFAコンフェデレーションズカップ2005|2005年大会(第7回)]]
:欧州王者[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]に勝利し、南米王者[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]と引き分けるも、初戦で北中米カリブ王者[[サッカーメキシコ代表|メキシコ]]に敗戦したことが響き、得失点差でグループリーグ3位となり、惜しくも決勝ノックアウステナメント進出ならず。
;[[FIFAコンフェデレーションズカップ2013|2013年大会(第9回)]]
:[[AFCアジアカップ2011|アジアカップ2011]]を制し、2大会振りの出場となったが、同組に[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]、欧州王者[[サッカーイタリア代表|イタリア]]、北中米カリブ王者[[サッカーメキシコ代表|メキシコ]]と、ワールドカップ優勝経験国2ヶ国が入る「死の組」に入り、3戦全敗のグループリーグ最下位。攻撃的サッカーを標榜して来た日本代表であったが、失点数は3試合で9点に及び、守備力不足が露呈した。
[[2000年]]の[[AFCアジアカップ2000|第12回レバノン大会]]は直前の[[シドニーオリンピックにおけるサッカー競技|シドニー五輪]]を戦った[[中村俊輔]]・[[高原直泰]]ら「[[黄金世代]]」といわれたシドニー五輪代表と、[[名波浩]]や[[川口能活]]ら[[1998 FIFAワールドカップ|フランスワールドカップ]]以来のメンバーが融合したチームを[[フィリップ・トルシエ]]監督が率い、圧倒的なパフォーマンスで大会を席巻。グループリーグを2勝1分で1位通過すると、準々決勝では[[サッカーイラク代表|イラク]]を4-1、準決勝では[[サッカー中華人民共和国代表|中国]]を3-2でそれぞれ逆転で降す。そして、決勝戦では前回優勝の[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]を1-0で破り2大会ぶり2度目の優勝を果たした。
 
[[2004年]]の[[AFCアジアカップ2004|第13回中国大会]]では[[ジーコ]]監督のもと主力を怪我などで欠き、地元サポーターの激しいブーイングを受けるなど逆境の中での戦いであったが、決勝ノックアウステナメントで2度の延長戦を制した末決勝戦で地元中国を3-1で下して、2大会連続3度目の優勝を果たした。
 
[[2007年]]の[[AFCアジアカップ2007|第14回4ヵ国(タイ、マレーシア、ベトナム、インドネシア)共催大会]]ではグループリーグを2勝1分の1位で通過。準々決勝では初参加の[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]をPK戦の末に勝利してベスト4へ進んだものの、準決勝でサウジアラビアに2-3で敗れ3連覇はならず、さらに3位決定戦でも韓国相手にPK戦を制することが出来ず4位に終わった<ref>日本は、1996年大会準々決勝でクウェートに敗れて以降、この大会の準決勝でサウジアラビアに敗れるまで16試合連続無敗を続けていた。なお、サウジアラビアも1984年大会の初戦から16試合連続無敗を続けていたが、1992年大会決勝で日本に敗れ記録が止まった。なお、日本は初優勝した1992年大会以降グループリーグは全て無敗で1位通過しており、グループリーグの連続無敗記録は2015年大会までで21試合となっている。</ref>。
!width=50|試合数
!width=50|勝
!width=50|分<br /><ref group="注1">決勝ノックアウステナメントでのPK戦を含む。</ref>
!width=50|負
!width=50|得点
|6月24日||[[ルステンブルク]]<br />[[ロイヤル・バフォケン・スタジアム]]||align="left"|{{DENf}}|| '''[[2010 FIFAワールドカップ・グループE#デンマーク vs 日本|3 - 1]]''' ||○||本田圭佑<br />[[遠藤保仁]]<br />[[岡崎慎司]]
|-
|R16||6月29日||[[プレトリア]]<br />[[ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム]]||align="left"|{{PARf}}|| '''[[2010 FIFAワールドカップ・決勝ノックアウステナメント#パラグアイ vs 日本|0 - 0<br />(PK 3 - 5)]]''' ||<small>△</small>||
|-
|rowspan=3|[[2014 FIFAワールドカップ|2014]]
!width=50|試合数
!width=50|勝
!width=50|分<br /><ref group="注2">決勝ノックアウステナメントでのPK戦を含む。</ref>
!width=50|負
!width=50|得点
匿名利用者