「ヤマハ・モーター・レーシング」の版間の差分

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2016
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初年度の1999年から{{MGP|2002}}までは、[[マックス・ビアッジ]]と[[カルロス・チェカ]]をライダーにシリーズを戦った。当初は[[ヤマハ・YZR500|YZR500]]、2002年は[[ヤマハ・YZR-M1|YZR-M1]]を駆ったビアッジは、在籍中に通算9勝を挙げた。
 
{{MGP|2003}}には、ビアッジに代わり[[マルコ・メランドリ]]とアレッシャンドレ・バロス加入。チェカのチームメイトとなる。しかしながら、この年チームは73年のGP最高峰クラス挑戦開始以来初めてとなる未勝利で終わり、表彰台もバロスがウェットコンディションのフランス・ルマンでるこた3位表彰台1回のみなった。マシン開発では、開幕戦の鈴鹿でリアサス2本タイプで排気管出来センターアップタイプという一風変わったプロトタイプのYZR-M1がテスト参戦(阿部典史がライディング)するなど、迷走と言っても良い内容とった。
 
{{MGP|2004}}はバロスに代わり[[バレンティーノ・ロッシ]]が加入すると、シーズン9勝を挙げMotoGPクラス初チャンピオンをチームにもたらす。前年の未勝利から一転した結果が得られた理由は、エンジン特性が低回転域からマイルドに吹け上がる位相同爆エンジンになり、ピークパワーは向上させずマシンがコーナリング中で傾いた状態からでもアクセルを開けやすい性格になったことや4バルブエンジンへの回帰、新加入のチャンピオンのロッシがピークパワーで劣ることは承知の上で敢えてこう言った特性のマシンを望んだことなどがヤマハハンドリングとも言えるコーナリングからのなめらかで素早い加速につながるマシン作りへと結実した結果が表れた。この年以降、ヤマハは「ライダーフレンドリーなマシン開発」をテーマとして安定した成績を残すようになった。マシン開発の上では重要なターニングポイントとも言える一年になった。
{{MGP|2004}}はメランドリに代わり[[バレンティーノ・ロッシ]]が加入すると、シーズン9勝を挙げMotoGPクラス初チャンピオンをチームにもたらす。
 
{{MGP|2005}}にはロッシのチームメイトに[[コーリン・エドワーズ]]が加入。この年もロッシはシーズン11勝という圧倒的な強さでチャンピオンシップを連覇する。昨年ロッシ加入と共に見直されたマシン開発の方向性から、さらなる改良でピークパワーを上乗せしつつ車体特性の最適化がなされ、そのためにリアサスの応力を受けるピボットをエンジン後部のギアボックスに設置するなどの改良が施され、ピークパワーが上がり過激になったエンジン特性を電子制御スロットルなども導入してコントロール性とピークパワー向上の両立がはかられた結果がロッシの11勝での圧倒的なタイトル獲得につながった
 
{{MGP|2006}}は両ライダーともチームに残留する。ロッシは5勝・シリーズ2位でシーズンを終えた。