「蝶野正洋」の版間の差分

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=== 若手時代(1984年 - 1989年) ===
[[1984年]]4月に[[新日本プロレスへ]]入門し、同年10月に[[埼玉県]]で行われた興行でプロデビューした(初戦の相手は同じくデビュー戦の[[武藤敬司]])<ref name="top100">John Molinaro, ''The Top 100 Pro Wrestlers of All Time'', (Winding Stair Press: 2002), page 198.</ref>。[[1987年]]の第3回[[ヤングライオン杯]]で[[橋本真也]]を破り優勝した。優勝後、海外遠征を行い、まず[[ドイツ]]の[[オットー・ワンツ]]のキャッチ・レスリング・アソシエーション(CWA)に出場した。ドイツ(当時[[西ドイツ]])では現在の夫人であるマルティナ・カールスと出会った。
 
しばらくして、蝶野は北米に遠征し、[[アメリカ合衆国]][[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]や[[カナダ国]][[ノバスコーシア州]]モンクトン、[[アメリカ合衆国]][[アラバマ州|アラバマ]]の[[NWA (プロレス)|NWA]]テリトリーで活動を始めた<ref name="top100" />。その後カナダ[[沿海、二度目の欧 (カナダ)|沿海州]]や遠征で[[プエルオーストリ]]でも活動した。アメリカではテーズ道場に短期滞在し、[[ステップオージンー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック|STFブエ]]を伝授された遠征に
帰国直前、アメリカ合衆国[[ノンフーク]]の[[ルー・テーズ]]道場で短期合宿後、日本に帰国。
[[STF]]/[[ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック|STF]]は、この時ルー・テーズに伝授された。
 
蝶野は1988年7月に新日本プロレスに短期帰国した遠征からの帰国後は直前、プエルトリコで武藤敬司、橋本真也とともに「[[闘魂三銃士]]」を結成て活躍する凱旋。闘魂継承を最意識したの、人気武藤と橋本真也で、蝶野正洋、武藤敬司後塵を拝し2人は乗り気でなかった。1989年4月、新日本プロレス初の[[東京ドーム]]での興行である[[IWGPヘビー級王座|IWGP王座]]決定トーナメントに出場し、[[レオン・ホワイト|ビッグバン・ベイダー]]に準々決勝で破れた。この間には、アメリカ合衆国に戻ったり短期間[[オーストラリア]]、[[アフリカ]]の[[ジンバブエ国]]に短期間遠征などした。
 
=== スーパースターへ(1989年 - 1994年) ===