「ボシュニャク人」の版間の差分

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== 概要 ==
ボシュニャク人の概念はボスニア・ヘルツェゴビナのイスラム化と関係している。この地域のイスラム化は[[オスマン帝国]]の支配下に入った1480年代ごろである。それまではボスニア・ヘルツェゴビナでは[[ローマ・カトリック]]などキリスト教が信仰されていたが、カトリックなのに[[ラテン語]]ではなく[[スラブ語]]で典礼を行うほか、土信仰に基づいた「[[二元論]]」の採用など教義が独自の変容を遂げ「異端」とみなされるようになり、ついに「ボスニア教会」と呼ばれる独自の教会を設立するに至った。これはカトリックが一部の支配階級の信仰であに留まり、大半の民衆は土着信仰(キリスト教からすれば異端思想にひかれていっ)を重視しことためである。しかし異端の「ボスニア教会」は広範な布体系だった確立するわけでなくに至らず、修道院などで信仰されていたことや体系けで広範な布教もされなかった教義を確立するため民衆レベル至らはほとんど浸透していなかったとがのためオスマン帝国がボスニア・ヘルツェゴビナがオスマン帝国の支配下に置いた時に、入ると民衆レベルでは急速にイスラム教が急速に浸透する要因となっ化した。
 
また地主・富農階層などは新しい支配者オスマン帝国に既得権を安堵してもらうために挙ってイスラム教に改宗した。そのためオスマン帝国統治時代には少数のイスラム教徒地主が多数のセルビア人クロアチア人小作農を使用するという社会構造がオスマン帝国統治時代には見られた。
 
== 参考文献 ==