「魔女狩り」の版間の差分

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また、魔女の概念は当時のヨーロッパを覆っていた[[反ユダヤ主義]]とも結びつき、「子供を捕まえて食べるかぎ鼻の人物」という魔女像が作られていった。魔女の集会がユダヤ人にとって[[安息日]]を意味する「[[サバト (魔女)|サバト]]」という名称で呼ばれるようになるのも反ユダヤ主義の産物である。このように人々の間に共通の魔女のイメージが完成したのが15世紀のことであった。
 
[[Image:Malleus maleficarum, Lyon 1669, Titelseite.jpg|thumb|200px|『魔女に与える鉄槌/マレウス・マレフィカルム』題扉]]
15世紀に入ると、魔女と妖術に関する書物が一種のブームとなる。たとえば{{仮リンク|ニコラ<!--フランス語なので「ニコラス」ではない-->・ジャキエ|en|Nicholas Jacquier}}の『異端の魔女の鞭』(''Flagellum Haereticorum Fascinariorum'', 1450年)や{{仮リンク|ウルリヒ・モリトール|en|Ulrich Molitor}}の『魔女と女予言者について』(''De lamiis et phitonicis mulieribus'', 1489年)などがあり、特に有名なものとして[[ドミニコ会]]の異端審問官であった{{仮リンク|ハインリヒ・クラーマー|en|Heinrich Kramer}}<ref group="註">クラーマー (Kramer) またはクレーマー ({{lang|de|Krämer}}、「小売商」の意)。</ref>によって書かれた『[[魔女に与える鉄槌]](マレウス・マレフィカルム)』<ref group="註">{{読み仮名|{{lang-la-short|Malleum Maleficārum}}|マレウス・マレフィカールム}} - 直訳すると「魔女の槌」。</ref>(1487年)がある。