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{{出典の明記|date=2015年10月28日 (水) 12:15 (UTC)}}
{{Infobox 武道・武術
'''為我流派勝新流'''とは、'''大内藤次郎忠信'''が[[為我流]]に[[天神真楊流]]、水野流、無形流のそれぞれの師に師事し会得した技術を加え工夫を重ねて開いた柔術の流儀である。
|名称=
|読み=いがりゅうはかっしんりゅう
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|画像説明=
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|競技形式=
|使用武器=
|発生国={{Flagicon|JPN}} [[日本]]
|発祥地=
|発生年=[[江戸時代]]
|創始者=[[大内藤次郎忠信]]
|源流=[[為我流]]
|流派=
|派生流派=
|主要技術=
|オリンピック=
|公式ウェブサイト=[http://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/003/ 為我流派勝新流柔術 明武館]
|伝承地=[[茨城県]]、[[千葉県]]
}}
 
'''為我流派勝新流'''とは、'''大内藤次郎忠信'''が[[為我流]]に[[天神真楊流]]、水野流、無形流のそれぞれの師に師事し会得した技術を加え工夫を重ねて開いた[[柔術]]の流儀である。
== 流儀の歴史 ==
 
[[為我流]]宗家八代'''藤咲富之丞可道'''に師事した'''大内藤次郎'''は、天保年間に師とともに[[天神真楊流]]磯又衛門の高弟'''寺寄剛平'''<ref>'''寺崎剛平'''の事と思われるが、月刊秘伝2004年5月号に掲載された伝書内の表記も'''寺寄剛平'''となっている。</ref>に殺活法を授かりさらに水野流照山可馬守典完、無形流武石億七郎常徳に師事し、工夫を重ねて当身技を会得し'''為我流派勝新流柔術'''を開いた。
== 流儀の歴史 ==
[[為我流]]宗家八代'''藤咲富之丞可道'''に師事した'''大内藤次郎'''は、天保年間に師とともに[[天神真楊流]]磯又衛門の高弟'''寺寄剛平'''<ref>'''寺崎剛平'''の事と思われるが、月刊秘伝2004年5月号に掲載された伝書内の表記も'''寺寄剛平'''となっている。</ref>に殺活法を授かりさらに水野流 照山可馬守典完、無形流 武石億七郎常徳に師事し、工夫を重ねて当身技を会得し'''為我流派勝新流柔術'''を開いた。
== 内容 ==
居組、立合、秘術、術解、捕者術解、死当、極意などの他、附属として[[天神真楊流]]の活法が伝えられている。
== 関連項目 ==
[[為我流]]
 
[[天神真楊流]]
== 注釈 ==
<references/>
== 参考文献 ==
{{DEFAULTSORT:いかりゆうは}}
*月刊秘伝2004年5月号
[[Category:柔術]]
== 関連項目 ==
*[[為我流]]
{{DEFAULTSORT:いかりゆうはかつしんりゆう}}
[[Category:柔術の流派]]
[[Category:現存する柔術]]
[[Category:茨城県の歴史]]