「石器時代」の版間の差分

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== 金石併用時代と石器時代の終焉 ==
やがて、自然状態で存在する金属を加工することを覚えた人類は、[[自然銅]]や[[自然金]]といった天然の鉱石を発見し、[[銅]]や[[金]]といった加工の容易な金属を使用するようになっていった。ただしこうした金属は硬度が不足しており、石器を完全に駆逐することはできなかった。この時代のことは[[銅器時代]]、または金石併用時代と呼ばれる。やがて[[冶金]]を覚え、[[スズ]]と銅の合金である[[青銅]]を手にした人類は、完全な[[金属器]]文明である[[青銅器時代]]を迎えることとなった。ただし、石器時代の終焉は地域によって時期が非常に異なり、なかには紀元後に入っても石器時代のままであった文明も存在した。こうした文明のうちでもっとも代表的なものは[[メソアメリカ]]文明や[[インカ帝国]]といった[[新大陸]]の諸文明であり、[[国家]]を形成し文明と呼ぶに足る高度な文化を築き上げていたにもかかわらず、冶金技術は非常に遅れており、銅や金などを装飾品として使用する金石併用時代から進歩することのないまま16世紀初頭に[[スペイン]]の侵略を受け、滅亡することとなった。
 
== 交易 ==
新石器時代に石器の原料として最も珍重されたものは、鋭利な刃物を作ることのできる[[黒曜石]]だった。しかし黒曜石は火山性の[[ガラス]]であるため産出地が非常に限られており、本来なら産地近辺の限られた地域しか使用されていないはずである。しかし実際には産地から遠く離れた遺跡においても黒曜石製の石器の産出がある。このため、新石器時代にはすでに黒曜石などの必需品を交易する遠隔地[[交易]]がはじまっていたと考えられている。金属器が発明されていない段階での黒曜石の重要性は文明レベルが上がるにつれて高まり、[[マヤ文明]]においては文明圏南部のマヤ高地にしか産出しない黒曜石製の石器が交易網によって文明圏全域に運ばれた。[[先古典期]]のカミナルフユや[[古典期]]の[[コパン]]のように黒曜石を交易品の主力とする都市も生まれ、コパンにおいては黒曜石の生産と流通を国家がコントロールしていた<ref>「マヤ文明を知る事典」p142 青山和夫 東京堂出版 2015年11月10日初版発行</ref>。
 
== 地質時代と石器時代の対応表 ==