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Purple Quartz (会話 | 投稿記録)
書式合わせ、ノリ自体は天然記念物では無い、ノリの詳細は記事で
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* 室町時代は、茄でて洗ってから蒸して温める食べ方が主流で、「蒸麦」や「熱蒸」とも呼ばれた。この時代の文献には、「梶の葉に盛った索麺は七夕の風流」という文章も残されている。また、この時代の宮廷の女房詞では、素麺を「ぞろ」と呼んでいた<ref name="dantai2"/>。
* [[江戸時代]]には、[[七夕]](七姐節)にそうめんを[[供物|供え物]]とする習俗が広まっていった。これは、細く長いそうめんを糸に見立てて裁縫の上達を祈願したものである<ref name="dantai2"/>。
* [[寺島良安]]の『[[和漢三才図会]]』(1712)では索餅を「さふめん」と読み、「俗に素麺ともいう」としており、江戸時代初期の儒学者[[林羅山]]も同様の認識を示している。また、江戸末期の記録者[[斎藤月岑]]が『東都歳時記』(1838)の中で「家々冷索麺を饗す」と記しているように、江戸末期まで「そうめん」の表記は混乱が見られる<ref>鈴木晋一 『たべもの史話』 小学館ライブラリー、1999年、pp122-126</ref>うんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんち
 
== 日本国内の素麺産地 ==
日本国内では近世より西日本を中心に素麺生産が盛んであった。これは原料となる小麦、水(軟水)、食塩(海水塩)の産地が近かったことが1つの理由である。
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