「三国同盟 (1882年)」の版間の差分

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このあと、露仏同盟を核とする[[三国協商]]が急ぎ編成された。[[日露戦争]]の記憶はどこへやら、[[日露協約]]が[[日仏協約]]のあと更新を重ねた。[[南下政策]]の阻止が目的だったはずの[[日英同盟]]も転用されつつあった。[[山東半島]]のドイツ租借地は孤立した。
 
「[[未回収のイタリア]]」と呼ばれる[[南ティロル]]・[[トリエステ]]などを巡りオーストリアとの領土問題を抱えていたイタリアは、[[1902年]]に[[仏伊協商]]をフランスと結び、ドイツがフランスを攻撃する際にはイタリアは参加しないことを約束した。イタリアは三国協商側に接近しつつあったが、[[1915年]]4月イギリスとの間に[[ロンドン条約 (1915年)|ロンドン秘密条約]]を秘密裏に結び、未回収のイタリアをイタリアに割譲する算段をとりつけた。5月には連合国側に付いてオーストリアに宣戦し、三国同盟は二国同盟となった。
 
そもそもドイツとイタリアは、普仏戦争から同盟結成の時期にかけて掘削された[[ゴッタルド鉄道トンネル]]で物理的につながっていた。このトンネルは1909年[[スイス]]で国有化されるが、4年後に連邦議会が世論に反してゴッタルド条約を更新、[[スイス連邦鉄道]]に関しドイツ・イタリアに[[最恵国待遇]]を与えた。スイスは第一次世界大戦後に[[国際連盟]]に加盟させられ、有事に経済制裁へ参加する義務を課せられた(制限中立)。1935年、イタリアに対するそれが多くの国で十分に履行されなかった。それをきっかけに1938年スイスは絶対中立へ戻った。このようなトンネルは[[日独伊三国軍事同盟]]につながっていた。
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[[Category:経済システム]]
[[Category:軍事同盟]]
[[Category:秘密協定]]
[[Category:名数3|こくとうめい]]
[[Category:ドイツ帝国の国際関係]]
[[Category:オーストリア=ハンガリー帝国の国際関係]]
[[Category:イタリア王国]]
[[Category:19世紀のヨーロッパ]]
[[Category:20世紀のヨーロッパ]]