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M77so (会話 | 投稿記録)
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:『[[論語]]』では、さまざまな説明がなされている。ある場合は「人を愛すること」と説明し、[[顔回]]の質問に対しては、「克己復礼」すなわち「己に克ちて礼を復むを仁と為す(私心を克服して礼を重んじること。それが仁である)と答えている<ref name=jin/><ref>白取(2005)pp.50-51</ref><ref group="注釈">ともに『論語』顔淵篇に収載されている。</ref>。前者は外部に対する[[行為]]を指し、後者すなわち顔回に対する答えは自身の内なる修養のあり方を指している。具体的な心構えとしては、「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇、[[黄金律]])がよく知られている<ref name=jin/>。すなわち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な[[欲望]]を抑えて礼儀をとりおこなうことである<ref name=jin/>。
;[[義]]
:利欲にとらわれず、なすべきことをすること<ref group="注釈">『説文解字』では、語源的に「宜」に通じると説明している。</ref>。[[正義]]。中国思想においては、常に「[[]]」と対比される概念である<ref>澤田「義」(2004)</ref>。
;[[礼]]
:「仁」を具体的な行動として表したもの。もともとは[[宗教]][[儀礼]]での[[タブー]]や[[伝統]]的な[[習慣]]・[[制度]]を意味していた。のちに[[上下関係]]で守るべきことを意味するようになった。儒者のなかでも、[[性悪説]]の立場に立った[[荀子]]は特に「礼」を重視した<ref>高橋「礼」(2004)</ref>。