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'''耿 炳文'''(こう へいぶん、[[1335年]] - [[1404年]])は、[[明]]初期の重臣。父は[[耿君用]]。
 
[[朱元璋]]と同郷である[[濠州]]離(現在の[[安徽省]][[鳳陽県]])の出身。朱元璋とは若い頃から友人関係にあった。朱元璋が[[郭子興]]の軍に加わると、耿炳文もその軍に加わった。[[張士誠]]との戦いで活躍し、その配下武将である[[趙打虎]]や[[李福安]]を破るという功を挙げた。朱元璋が郭子興の軍を引き継ぐと彼に仕えて明建国の元勲の1人として活躍した。そのため、明朝成立後は朱元璋よりこれまでの功績を賞されて長興侯に封じられた。
 
朱元璋は[[皇帝]]になると、[[李善長]]や[[李文忠]]、[[徐達]]ら元勲を次々と粛清していくが、なぜか耿炳文は例外で処分されることは無かった。朱元璋が洪武帝になった後も対[[モンゴル]]戦や[[雲南]]遠征などで功績を挙げている。耿炳文の長男 · 耿璇は[[江都公主 (明)|江都郡主]](後の江都公主、[[建文帝]]の嫡姉)と結婚した。