「ハーマンズ・ハーミッツ」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[1964年]]8月に発表したデビュー曲「朝からゴキゲン」が[[イギリス]]で大ヒットし、翌[[1965年]]には[[ビートルズ]]の成功に続くべく[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に上陸する。ヴォーカルのピーター・ヌーンの[[アイドル]]的ルックスと、清潔感のある親しみやすいイメージ戦略で高い人気を博し、「ミセス・ブラウンのお嬢さん」「ヘンリー8世君」など多くの全米トップ10ヒット曲を連発した。[[1965年]]から[[1966年]]にかけてアメリカで大きな人気を獲得し、1966年には[[MGM]]から主演映画『[[::en::Hold On! (film){{仮リンク|ホールド・オン!]]|en|Hold On! (film)}}』が封切られ、2月に[[来日]]公演を果たす<ref>[http://tomoshibi.or.jp/60th/ テレビ番組の放映実現 宣教60年の歩み 心のともしび]</ref>。
 
[[1967年]]には「[[見つめあう恋]]」が大ヒットするも、以後の全米ツアーでは前座の[[ザ・フー]]や[[マッシュマッカーン]]に食われる始末となる。アメリカでは「雨にさよなら」「恋のミュージアム」などのスマッシュヒット(イギリスではノーチャート)を放つも、かつての勢いはなくなる。[[1968年]]には映画『[[::{{仮リンク|レッツ・ゴー!ハーマンズ・ハーミッツ|en::|Mrs. Brown, You've Got a Lovely Daughter (film)|レッツ・ゴー!ハーマンズ・ハーミッツ]]}}』が封切られるも回復策にはならず、「恋は晴れのち曇り」「スリーピージョー」を最後に全米チャートから姿を消した<ref>[http://www.allmusic.com/artist/hermans-hermits-mn0000575051/biography Artist Biography AllMusic]</ref>。
 
[[1969年]]に入ってからは本国イギリスで「恋はハプニング」「サンシャインガール」「マイ・センチメンタルフレンド」「時は流れる」「僕を頼りにして」などの楽曲を発表してヒットを放ち続けたが、[[1971年]]のシングル「レディ・バーバラ」を最後にヌーンが脱退したことで、グループは事実上の解散を迎えた<ref>[https://hermanshermits.co.uk/biogs/hermans-hermits/ Hermans Hermits Biography Official Herman's Hermits site]</ref>。