「曹洪」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
42行目:
建安5年([[200年]])、[[官渡の戦い]]では[[徐晃]]と共に㶏<ref>本来の文字は「氵」+「隱」</ref>強の賊の祝臂を攻撃し、これを破った(「徐晃伝」)。曹操が烏巣を攻撃した時は官渡の留守を預かり、[[袁紹]]軍の[[張コウ|張郃]]・[[高覧]]らの攻撃を防ぎ切った。張郃らが降伏を申し入れてくるとその意図を疑ったが、[[荀攸]]の助言によりこれを受け入れた(「荀攸伝」)。
その後、曹洪は別軍を率いて[[荊州]]の[[劉表]]を征伐し、舞
さらに曹操の各地への征伐に従い、都護将軍に任命された。曹洪は都護になると、阮瑀([[阮籍]]の父)を書記に迎えようと試みたが、阮瑀に辞退されている(「[[王粲]]伝」附「阮瑀伝」)。
|