「百年戦争の背景」の版間の差分

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1203年にフランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]は、プランタジネット家の内部対立を利用して[[ジョン (イングランド王)|ジョン王]]から[[アキテーヌ]]を除くフランス領土を接収することに成功した。さらに[[ブービーヌの戦い]]の勝利により、これらの領土を確定した後、1215年に王太子ルイ([[ルイ8世 (フランス王)|ルイ8世]])は、イングランド諸侯の支持を受けて一時[[ロンドン]]を占領し戴冠を目前とした([[第一次バロン戦争]])。しかし、1216年にジョン王が急死し幼い[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]が即位すると、イングランド諸侯はヘンリー3世を支持したため失敗に終わった。ルイ8世はその後もイングランド征服を狙っていたが1226年に死去し、幼い[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]が即位した。これを好機として、既に成人していたヘンリー3世が二度にわたって、フランス領土奪回のための侵攻を行ったが共に失敗し、却って残っていたアキテーヌも占領された。しかし、ヨーロッパの平和を望むルイ9世は、イングランドとの抗争の終結を望み、1243年に平和条約を結び、ヘンリー3世が臣従の礼をとることでボルドーを中心としたアキテーヌの一部であるギエンヌとガスコーニュを返却した。
 
== 国家統一への動き ==
これによりイングランド・フランス間の平和は続き、イングランドは[[ウェールズ]]、[[スコットランド]]、[[アイルランド]]等のなど[[ブリテン諸島]]の支配に力を注ぎ、フランスは大陸の問題に集中した。しかし、国家統一への歩みの中で[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]が中央集権的な支配を確立するには、フランス王国にありながら独立的な地域である南の[[ガスコーニュ]]と北の[[フランドル]]を接収する必要があった。同時に毛織物によりヨーロッパ有数の産業地であり、フィリップ4世妃[[フアナ1世 (ナバラ女王)|ジャンヌ]]が、「フランスでは王妃は私一人だが、この地では全ての女が王妃同様の暮らしをしている。」と言うほどだったフランドルと[[ワイン]]で豊かな[[ボルドー]]地域を含むガスコーニュを有することは経済的にも重要であった。
 
しかし、フランドルは毛織物産業を通してイングランドとの経済的関係が深く、フランドルをフランス王に直接支配されることはイングランドの経済にとって大きな脅威となった。またイングランド王の威信にかけて、大陸に残った最後の領土ガスコーニュを失うことは許されなかった。
 
1294年から始まるフランスとイングランドとの戦争はフランスがガスコーニュ、フランドルを接収しようとしたことに対するイングランドの抵抗と、イングランドの牽制のためにフランスがスコットランドと同盟(([[古い同盟)]])を結んだことからなるものであり、この構図はそのまま百年戦争の時まで続いたため、1294年を百年戦争を含む一連の戦争の始まりとする見方もある。
 
イングランド、フランスは共に小国の同盟者であるフランドル、スコットランドを見捨てて、1299年に休戦協定を結んだため、イングランドはスコットランド、フランスはフランドルの統合に一旦成功したが、それぞれ根強い抵抗([[スコットランド独立戦争]]、[[金拍車の戦い]])のため最終的に失敗した。