「D-10 100mm戦車砲」の版間の差分

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Tatara593 (会話 | 投稿記録)
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== D-10S ==
[[File:Su-100 spatg.jpg|thumb|250px|D-10S砲搭載のSuSU-100]]
[[1944年]]初頭、[[赤軍|ソビエト連邦軍]]は、[[F-34 76mm戦車砲]]に換えて[[52-K 85mm高射砲#戦車砲|D-5T 85mm戦車砲]]を搭載した、新しい[[T-34#1943年以降|T-34-85]][[中戦車]]の運用を開始した。これによってソビエト連邦軍中戦車の[[火力 (軍事)|火力]]は大幅に強化された一方で、[[SU-85 (自走砲)|SU-85]]が同[[口径]]・同系列の砲を搭載していたことから、[[駆逐戦車|対戦車自走砲]]の火力強化が求められるようになった。
 
このことから、[[:ru:Уральский_завод_тяжёлого_машиностроенияУральский завод тяжёлого машиностроения|国営第9ウラル重機械工具製造所(OKB No.9 UZTM)]]の[[:ru:Петров,_Фёдор_Фёдорович Фёдор Фёдорович|ペトロフ]][[技師]]の設計チームは、100mm砲を搭載した[[SU-100 (自走砲)|SU-100]]対戦車自走砲の開発に着手した。
 
[[主砲]]としては、[[ロシア海軍|海軍]]のB-34 [[56口径100mm艦載砲]]を元に車載化したS-34と、[[M-60 107mm野砲]]を元に100mm口径に改設計したものの2種が候補とされ、[[1943年]]9月には、両者を[[ML-20 152mm榴弾砲]]の砲架に搭載しての試射が行われた。1943年[[12月27日]]には、[[ソ連国家防衛委員会]](GKO)はさらに[[重戦車]]に対しても100mm砲を搭載するように下令した。これに応じて、S-34を搭載した重戦車として開発されたのが[[IS-1|JSIS-100]]重戦車であったが、砲の設計上、[[砲塔]]内の配置に問題が生じた。また、本来搭載すべきものとして開発されていたSU-100においても、S-34を搭載した場合、幅の関係で乗員が出入り可能な車体前方ハッチが取り付けられないことが判明した。
 
このことから、より小型・軽量の100mm砲として開発されたのがD-10Sである。D-10Sは53.5口径長の[[銃砲身|長砲身]]により895m/秒という[[砲口初速|高初速]]を実現しており、[[V号戦車パンター]]の[[7.5 cm KwK 42]]や[[ティーガーI]]の[[8.8 cm FlaK 18/36/37|8.8 cm KwK 36]]を大きく優越する火力を実現したが、[[ティーガーII]]戦車の[[8.8 cm PaK 43|8.8 cm KwK 43]]と比べるとやや劣るものであった。
 
== D-10T ==
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|caption1=D-10T砲搭載のT-54
|image2=T-55 skos RB.jpg
|caption2=D-10T2S砲搭載の[[T-55]]
}}
その後[[1945年]]より、56[[口径|口径長]]の改良型である'''D-10T'''砲を[[T-44]][[中戦車]]に搭載する研究が行われた。100mm砲搭載の[[プロトタイプ|試作型]]はT-44-100と称され、D-10T砲搭載型とLB-1砲搭載型の2種が開発されたが、D-10T砲の性能的な優越が確認された。
 
しかし設計上、T-44の車体では100mm砲の反動を十分に吸収できないことが判明し、100mm砲の搭載を前提に全面的に改設計された[[T-54]]が開発された。
 
=== D-10TG ===
[[1955年]]には、砲安定装置を導入し、[[銃砲身|砲身]]先端にカウンターウェイトを装備した'''D-10TG'''が開発された。この砲安定装置はSTP-1 ゴリゾーントと呼ばれる照準の縦軸を制御する装備であり、同時に手動であった[[]]の操作も電動または[[油圧]]となった。しかし走行中に[[尾栓|砲尾]]が動いて装填手を事故死させるというトラブルも発生しており、完成度に問題があった。本砲を装備した[[T-54]]戦車を、[[西側諸国|西側]]は'''T-54A'''として区別した。
 
なお、「ゴリゾーント」({{lang|ru|горизонт}}<small> ガリゾーント</small>)、[[ロシア語]]で「[[水平線]]」の意味である。
 
=== D-10T2S ===
また翌[[1956年]]には、2軸のツィクロン砲安定装置と[[排煙器]]を導入した'''D-10T2S'''が開発された。なお、「ツィクローン」({{lang|ru|циклон}}<small> ツィクローン</small>)は「[[サイクロン]]」のこと。しかしこの装置は、近年の[[戦車]]のように行進間射撃ができる程の性能はなく、目標に対し大雑把に指向したのを砲手が微調整して照準するというレベルだった。
 
本砲を装備した[[T-54]]戦車を、[[西側諸国|西側]]'''T-54B'''として区別した。また、さらに全面的な改設計を施した[[T-55]]戦車においても、本砲が装備された。
 
=== 59式 ===
また、[[T-54|T-54A]]を[[59式戦車]]の名で[[ライセンス生産|ライセンスコピー]]した[[中華人民共和国|中国]]では'''59式'''の名で生産していた。性能はD-10TGとほぼ同じである。
 
== D-54 ==
D-10Tシリーズをもとに開発された[[プロトタイプ|試作砲]]が'''D-54'''である。D-54の開発は、ラドガ計画の名称で、D-10シリーズを設計した第9火砲工場設計局(旧:[[:ru:Уральский завод тяжёлого машиностроения|国営第9ウラル重機械工具製造所]])の[[:ru:Петров, Фёдор Фёдорович|ペトロフ]][[技師]]の設計チームによって行われた。
 
D-54は、D-10と比べて初活力にして30%30%増加しており、より高初速の[[APDS]]弾を運用できるようになっている。[[銃砲身|砲身]]の先端部には多孔式の[[マズルブレーキ]]が装備されている。[[ライフサイクルコスト]]が高く、またAPDS弾使用時の装弾筒の分離などに不具合があったことから、本砲は試作に留まり、配備されることはなかったが、[[T-62]]に搭載された[[115mm滑腔砲]]のベースとなった。
 
== 諸元・性能 ==
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|出典=
|種別=[[後装式]][[ライフル砲]]
|口径=100 mm100mm
|砲身長=53.5[[口径|口径長]]
|重量=
|全長=
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|その他の諸元=
<!--メカニズム-->
|砲尾=水平鎖栓式[[尾栓|閉鎖機]]
|反動=[[油圧]]緩衝器+液気圧式復座器
|砲架=車載砲
<!--性能-->
|俯仰角=+18°, –3°
|薬室圧力={{Convert|340|MPa|psi|lk=on|abbr=on}}
|初速=F-412[[榴弾(HE]](HE) 900m):900m/s(2s(2,952ft/s) s), BR-412D[[徹甲弾(APCBC]](APCBC) 887m):887m/s (2s(2,910ft/s) s), 3BM25装弾筒付翼安定徹甲弾(([[APFSDS]]) 1430m):1,430m/s(4s(4,691ft/s)s)
|有効射程=
|最大射程=14,600 m600m<ref>Foss (2005), p 110</ref>ないし16,000 m000m<ref>Battlefield.ru</ref>
|発射速度=平均 4発/分, 最大 5-6発/分
|その他の性能=
<!--弾薬-->
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== 関連項目 ==
* [[戦車砲]]
* [[90mm戦車砲 (アメリカ)]] - [[西側諸国]]の[[戦車#戦後第1世代主力戦車|戦後第1世代主力戦車]]の[[デファクトスタンダード]]。
* [[オードナンス QF 20ポンド90mm戦車 (アメリカ)]] - [[イギリス]]で開発された84mm砲。西側諸国]][[車#第1世代主力戦車|第1世代主力戦車]][[デファクトスタンダード]]
* [[ロイヤル・オードナンス L7QF 20ポンド砲]] - [[イギリス]]で開発された105mm84mm砲。[[西側諸国]][[戦車#戦後21世代主力戦車|戦後第2世代主力戦車]]のデファクトスタンダード。
* [[90mm戦車砲ロイヤル・オードナンス (アメリカ)L7]] - [[イギリスで開発された105mm砲。西側諸国]]の[[戦車#戦後12世代主力戦車|戦後12世代主力戦車]]の[[デファクトスタンダード]]
 
{{第二次世界大戦のソ連の火砲}}