「バラモン・シュウ」の版間の差分

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[[2005年]]10月、[[Gamma]]、菅原拓也と組んで[[ヒール (プロレス)|ヒール]]ターンを果たした。「[[ザ・グレート・サスケ]]宇宙人説」を唱え抗争を開始。マスカラ(サスケによると面の皮)・コントラ・カベジェラマッチに敗れ、それまで伸ばしていた髪をバッサリ切られてしまった。
 
双子タッグでは東北タッグタイトル王座を獲得。一度[[大阪プロレス]]の[[丸山敦|タイガースマスク]]&[[シャドーフェニックス|フラッシュムーン]]組にタイトル流出を許すが、すぐに取り返している。
 
正式所属を[[プロレスリング・エルドラド|プロレスリングElDorado]]に移すとバラモン兄弟とリングネームを改め、オカルト教団のような白装束や[[水晶玉]]片手に未来を予言するようになる。バラモンの元ネタは[[宮下あきら]]の漫画「[[瑪羅門の家族]]」からである。
 
[[2007年]]以降、バラモン兄弟による自主興行「大バラモン展」では、ミミズやゴギブリなど生きた害虫などをリングでバラまく、客席に浴びさす、虫を乗せた相手への体へダイブするなど、試合会場と客席からは非難轟々となった。それから、バラモン兄弟の試合では生きた虫攻撃は欠かせぬものとなった。また2008年の「大バラモン展2」では、Speed Of Sounds([[ツトム・オースギ]]&[[ヘラクレス千賀]])の持つ[[UWA世界タッグ王座]]に挑戦し、タイトル獲得に成功した。
 
プロレスリング・エルドラドElDoradoの解散後により、フリーとなった。
 
[[2009年]][[5月6日]]、[[KAIENTAI DOJO]]にて[[YOSHIYA]]&[[Hard core kid 狐次郎]]の持つ[[WEWハードコアタッグ王座]]に挑戦し勝利、タイトル獲得に成功すると[[2010年]]3月、[[火野裕士]]&[[稲松三郎]]に敗れるまで2度の防衛に成功。