「表現主義 (建築)」の版間の差分

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主要な建築物は、表現主義建築のシンボルとも称される[[エーリヒ・メンデルゾーン]]作の[[アインシュタイン塔]]([[1921年]]、[[ポツダム]])、北ドイツ表現主義建築を代表する[[フリッツ・ヘーガー]]の[[チリハウス]]([[1924年]]、[[ハンブルク]])などである。
 
当時の[[ドイツ]]は[[第一次世界大戦]]敗戦後の困窮した経済状態で、建築の依頼は限られていた。そのため、設計されたまま実現することのなかった作品や、短期間のみ展示された建物も非常に多かった(これらの中には、ブルーノ・タウトのアルプス建築(Alpine Architektur、[[1917年]])や[[ヘルマン・フィンステルリン]](Hermann Finsterlin)の形式遊び(Formspiel、[[1924年]])のように、建築学史において重要な位置をしめる作品も少なくない)。
 
[[1925年]]までにタウトやメンデルゾーン、ペルツィヒは、視覚芸術における表現主義芸術家たちとともに[[新即物主義]](Neue Sachlichkeit)の運動へと転じていった。これはより実際的・実務的な方法論に基づくもので、表現主義初期の実験精神を捨て去るほどの方向転換であった。以降、表現主義の作風を堅守したのは[[ハンス・シャロウン]]などの少数派に限られる。[[1933年]]の[[ナチス党]]の政権掌握以降、表現主義は「[[退廃芸術]]」として非合法化され、運動それ自体は終息へ向かった。
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[[Category:建築様式]]