「趙雲」の版間の差分

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また「'''涯角槍'''」(がいかくそう)という槍を得意としていたとなっている。『[[三国志平話]]によると、長さ九尺(約3メートル)で趙雲が「生涯に敵う者なし」という意味で名付けたことになっている。同説話ではこの槍で、張飛と互角に[[一騎討ち]]をしている。
 
妻の身分は不詳。民間伝承によると、趙雲の妻に[[孫軟児]]なる夫人がおり、この夫人が戯れに刺繍針で趙雲の身体をつついたところ、血が止まらなくなり死んでしまった。河北梆子劇『青鋼剣』によると、趙雲の妻·李翠蓮の名が見られる。
 
[[清]]代の『[[江陵県志]]』によると、関羽の子[[関平]]が趙雲の娘を娶ったとあり、関平と趙氏の子は[[関エツ|関樾]](木偏に越)という名で、江陵に住んでいたとある。関樾が8歳のとき、趙氏らとともに炎上する荊州([[樊城の戦い]])から益州へ逃れ、関羽の血筋を守ったという。
 
上記は正史·『演義』では一切語られていないが、白龍の話は、映画『[[レッドクリフ]]』で採用されている。軟児の名は、映画『[[三国志 (2008年の映画)|三国志]]』で採用されている。
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