「三波伸介 (初代)」の版間の差分

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=== 笑点時代でのエピソード ===
*『[[笑点]]』司会者当時、レギュラー出演者の[[桂歌丸]]と[[三遊亭小圓遊#4代目|三遊亭小圓遊]]の[[大喜利 (笑点)|大喜利]]における罵倒合戦が激化したため、2人の「和解式」を提案。三波と当時大喜利メンバーのリーダー格であった[[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽]]が立会人となり、[[1972年]][[8月27日]]の放送の中で実際に行われた。
* 親分肌な性格で、てんぷくトリオや「笑点」メンバーらを纏める統率力に非常に優れていた。豪快な外見とは裏腹に、繊細で研究熱心であり、流れをシミュレーションして収録に臨んだ。特にこだわったのは家族で楽しめる笑いであり、歌丸と小圓遊の罵り合いや[[林家木久扇|林家木久蔵]](現・木久扇)の「いやんばか〜ん」、[[林家こん平]]の「チャラーン!」などの定番ネタは、三波のリードで名物になったものである。三波自身もしばし「[[豚]]」などその容姿を回答者のネタにされることも多く、この司会者イジりは現在まで続く大喜利回答の定番となった。また、座布団運びの[[松崎真]]を紹介する時の「陸に上がったトドの死体」「牛のよだれ」といったフレーズは語り草になっている<ref name="minami1" />。
* 現在のように司会者がオープニングで客席に座って挨拶するスタイルを最初に取り入れたのは三波である。「『笑点』の顔として、お客様の中に入り一体感を持ちたい」との考えから始めたと言われる。なお、三波の司会当時は近くに座る観客にインタビューすることも多く、観客とのやり取りが番組の名物の一つとなっていた。
* [[飛行機]]が苦手で、普段は飛行機での移動を極力避けていたが、地方収録でやむを得ず飛行機を利用した際には、恐怖のあまり隣に同乗したスタッフの手をずっと握っていた。三波の飛行機嫌いを知らない若い男性スタッフが同乗したときには「飛行機が揺れるたびに僕の手を握って離さない。三波さんってホモっ気があるんじゃないんですか」とこぼしたという。