「ドースト・ムハンマド・ハーン」の版間の差分

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[[ドゥッラーニー部族連合]]バーラクザイ部族{{enlink|Barakzai}}出身。部族長であり、[[カーブル]]の州知事であった[[ムハンマド・アズィーム]](別名ファトフ・ハーン。1778年 - 1818年)の弟<ref>『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)pp.325-326</ref>。
 
バーラクザイ部族は、当時のアフガニスタンの王(シャー)を出したサドーザイ部族の分族である。サドーザイ朝(狭義の[[ドゥッラーニー朝]])は部族的支配の国家であり、王は同輩中の第一人者という位置づけであって専制的な支配者ではなく、国土を王族が[[ペシャーワル]]、[[カシミール]]、[[カンダハール]]、[[カーブル]]の諸州に分割して統治していた<ref>『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.325</ref>。バーラクザイ部族はサドーザイ朝で宰相([[ワズィール]])を出す部族であって、サドーザイ朝が内乱状態になる中で勢力を拡張していた<ref name="britanica_barakzai">{{cite web|url=https://kotobank.jp/word/バーラクザーイー朝-116560|title=バーラクザーイー|work=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典([[コトバンク]]所収)|accessdate=2017-05-27}}</ref>。
 
1818年、バーラクザイ部族の勢力拡張を嫌ったカームラーン王子{{enlink|Shahzada Kamran Durrani}}が、部族長であったムハンマド・アズィームを殺害すると<ref name="toritani_2008-137">登利谷正人「コラム 19世紀アフガニスタンの対周辺国関係」、『アフガニスタンと周辺国-6年間の経験と復興への展望』(日本貿易振興機構アジア経済研究所、2008年)、p.137</ref>、バーラクザイ部族は各地で反乱をおこした<ref name="toritani_2008-137" />。ドースト・ムハンマドも、カシミールから進撃してペシャーワルとカーブルを陥落させている<ref name="britanica_dust">{{cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89-105225|title=ドースト・ムハンマド|work=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典([[コトバンク]]所収)|accessdate=2017-08-09}}</ref>。サドーザイ朝は[[ヘラート]]に勢力を残すものの<ref name="britanica_dust" />、事実上崩壊した<ref name="toritani_2008-137" />。
 
=== 建国 ===
サドーザイ部族は、1826年に国土を分割<ref name="britanica_dust" />。このとき、ドースト・ムハンマドは[[カーブル]]を掌握し<ref name="senrei-afghan_gaiyou" />、[[ハーン]]を称して国家を建てた(この時点でカーブルのほか、[[ガズニー]]、[[ジャラーラーバード]]も彼の支配下にあった<ref name="britanica_dust" />)、[[ハーン]]を称して国家を建てた。彼の兄コハンデル・ハーンがカンダハールを本拠とし<ref name="toritani_2008-137" />、カームラーン王子と宰相ヤール・ムハンマド・ハーンのサドーザイ朝残存勢力が[[ヘラート]]を本拠として<ref name="toritani_2008-137" />、アフガニスタンに鼎立する状態がその後しばらく続いた<ref name="senrei-afghan_gaiyou">{{cite web|url=http://www.aa.tufs.ac.jp/afghan/gaiyou_about_afgan.html|title=概要 アフガニスタンについて|work=[http://www.aa.tufs.ac.jp/afghan/ 鮮麗なる阿富汗 一八四八~石版画にみるアフガニスタンの風俗と習慣]|publisher=[[東京外国語大学]]アジア・アフリカ言語文化研究所|date=2007|accessdate=2017-5-27}}</ref>。
 
1835年から、ドースト・ムハンマドは[[アミール]]を称した。なお、サドーザイ朝の王は「[[シャー]]」というイラン的な称号を名乗っており<ref>『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.326</ref>、「[[アミール]]」というイスラム的な呼称は、シーク教徒やインドのイギリス人に対する宗教意識の現われと見なされている<ref>『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)p.326</ref>。
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== 外部リンク参考文献 ==
*『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1982年)。アフガニスタン部分の執筆者は[[勝藤猛]]。