「桜花 (航空機)」の版間の差分

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第五回・第六回はアメリカ軍の記録上では戦果がなかったとされるが、出撃した母機搭乗員よりは戦果の報告がなされている。(詳細は[[#戦果]]を参照)
 
1945年5月4日、第七回神雷桜花特別攻撃隊で{{仮リンク|シェイ (機雷敷設駆逐艦)|label=機雷敷設駆逐艦シェイ|en|USS Shea (DM-30)}}に1機の桜花が命中している。しかしこの桜花は不発でシェイは致命的な損傷を受ける事は無かったが司令官室[[戦闘指揮所]]、[[ソナー]]ルームなどの艦内中枢を目茶目茶に壊して118名の死傷者を出させておりたのちスタンリーの時と同じようにシェイを貫通し海上で爆した。そのためシェイは撃沈は免れたが、翌1946年まあっても修理が終わらないほどの深刻な損害を被り、桜花の威力をまざまざと見せつける事となった<ref>[http://www.destroyers.org/histories/h-dm-30.htm A Tin Can Sailors Destroyer History USS SHEA(DM-30)] 2017年8月12日閲覧</ref><ref>吉本貞昭『世界が語る神風特別攻撃隊』P.141</ref>他2隻の駆逐艦も至近弾で損傷し3名の負傷者を出した。
 
桜花が最後に戦果を挙げたのが1945年5月11日に第八回神雷桜花特別攻撃隊で、{{仮リンク|ヒューW.ハドレイ (護衛駆逐艦)|label=護衛駆逐艦ヒューW.ハドレイ|en|USS Hugh W. Hadley (DD-774)}}に1機の桜花が命中し、後部機械室と前部ボイラー室の中間で爆発した。艦はたちまち全ての機能が停止、更に大量に浸水したためバロン・J・マレイニ艦長は「総員退艦」を命じたが、艦に残った50名の士官と水兵の神業とも言える[[ダメージコントロール]]で沈没は逃れた。しかし艦の損傷は致命的で95名もの死傷者を出し、修理はされずそのままスクラップとなった。<ref>デニス・ウォーナー『ドキュメント神風下巻』時事通信社 P.164</ref>またこの日は宇垣中将の命により、他特攻部隊援護の為に桜花2機をアメリカ軍飛行場攻撃の為出撃させている。滑走路に大穴を開けて離着陸をできなくする目的であったが、アメリカ軍戦闘機の妨害で突入を断念している。<ref>宇垣纏『戦藻録 後編』日本出版協同 P.237</ref>1945年5月25日の第九回神雷桜花部隊は、第一回に次ぐ機数の11機の陸攻と桜花が投入され、連合艦隊司令長官[[豊田副武]]より直々の出撃見送りを受けている。<ref>日本ニュース 第252号 1945年6月9日</ref>前日に[[義烈空挺隊]]が沖縄の飛行場に突入しており、期待も大きかったが、天候不良で内8機が引き返し、残り3機も桜花射出の打電のないまま未帰還となった。<ref>吉本貞昭『世界が語る神風特別攻撃隊』P.145</ref>
| 1945年4月12日 || ジェファーズ || 掃海駆逐艦 || 0 || 0 || 至近に落下し小破
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| 1945年5月4日 || シェイ || 敷設駆逐艦 || 35<ref>[http://www.destroyers.org/histories/h-dm-30.htm A Tin Can Sailors Destroyer History USS SHEA(DM-30)] 2016年12月15日閲覧</ref> || 91 || 艦中央に命中も不し戦闘指揮所などの艦中枢を撃破後貫通して海上で爆発、沈まなかったが大破し終戦まで復帰できず
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| 1945年5月4日 || ゲイエティ || 駆逐艦 || 0 || 3 || 至近で爆発、破片で40mm機関砲破壊
その後に桜花が駆逐艦[[マナート・L・エベール (駆逐艦)|マナート・L・エベール]]を撃沈するとその懸念が現実化する事となり、アメリカ軍はマナート・L・エベールのオールトン・E・パーカー艦長と副長と砲術長に25Pにもなる長文の詳細な戦闘記録を作らせ、TOP-SECRET扱いとし徹底的に分析している。その報告書には「それは今まで目にしたどんな飛行機よりも速かった。プロペラやエンジンは見かけられなかったので、この機体はジェットかロケットを推力にしているものと思われた。」と記述してあった。<ref>デニス・ウォーナー『ドキュメント神風下巻』時事通信社 P.97</ref>マナート・L・エベールと同日に桜花が命中しながら、あまりの威力に艦体を突き抜けた為、撃沈を免れた{{仮リンク|スタンリー (駆逐艦) |en|USS Stanly (DD-478)}}の砲術長は「このミサイルが艦艇装備の自動火器の射程距離範囲内まで接近したなら、何物もその突進を停止させたり、その方向を変換させるのは無理である」と述べている。<ref>デニス・ウォーナー『ドキュメント神風下巻』時事通信社 P.102</ref>
 
その設計思想と費用対効果の低さにより今日の日本では極めて評価が低い桜花であるが、鹵獲した桜花の調査結果や、また被害艦の戦闘報告を詳細に検証した当時のアメリカ海軍は、桜花をもっとも危険な兵器で、アメリカ軍の砲手やパイロットらにとってこれまでに遭遇したもっとも手におえない攻撃目標であると考えた。<ref>デニス・ウォーナー『ドキュメント神風下巻』時事通信社 P.102</ref>[[ピューリッツァー賞 一般ノンフィクション部門]]を受賞したアメリカの戦史研究家[[ジョン・トーランド]]は、当時のアメリカ軍艦隊全体の状況として「桜花を『BAKA』と蔑んでみても、アメリカ軍艦隊全体に広まった恐怖は決して和らぐことはなかった。」と述懐している<ref>[[ジョン・ト―ランド]]『大日本帝国の興亡』第4巻神風吹かず 早川書房 電子版P.4438</ref>。
 
アメリカの歴史家の第一人者で海軍軍人でもあった[[サミュエル・モリソン]]は著書で桜花について「小型なことと、とてつもないスピードのため、BAKAはわが軍の艦船に対する最悪の脅威となった。それは、ロンドンを襲ったドイツの誘導ミサイルにほぼ匹敵する脅威となった。」と述べている。<ref>サミュエル・E・モリソン『モリソンの太平洋海戦史』大谷内一夫訳 光人社 431頁</ref>また、太平洋艦隊司令[[チェスター・ニミッツ]]元帥も著書で「桜花は翼を持つロケット推進の爆弾で、爆撃機の機体から離れると、その後はパイロットにより目標まで誘導された。」と桜花の概要を記述しており、当時のアメリカ海軍での桜花の存在感をうかがい知る事ができる。<ref>[[チェスター・ニミッツ]] E・B・ポッター 『ニミッツの太平洋戦史』恒文社 P.442</ref>
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