「永谷宗円生家」の版間の差分

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在地:[[京都府]][[綴喜郡]][[宇治田原町]][[大字]][[湯屋谷]][[小字]]空広
[[元文]]3年([[1738年]])、「[[青製煎茶製法]]」を開発・普及させた[[永谷宗円]]が暮らし、[[明治]]まで永谷家が存在していた場所に、[[製茶道具]]や[[ほいろ]]跡を保存するため、古材の一部を使用して建てられた[[家屋]]。[[大正]]に建てられたものもさらに[[昭和]]30年代に再建され、現在に至る。「[[生家]]」と呼ばれるが、[[江戸時代]]の[[家屋]]が現存しているのではなく、永谷家の屋敷のあった場所に、実際の家屋よりも小さい[[茅葺き]]の建物を建てたもの。内部にほいろ跡などが保存されており、奥の[[床の間]]には宗円時代の茶の古木の幹の一部が置かれている。普段は[[雨戸]]が閉じられているのでわからないが、内部はほいろのある土間と、[[畳]]敷きの座敷からなる。内部には[[蛍光灯]]を備え、[[雨戸]]を開けるとガラスがはまっている。家屋は宇治田原町[[指定文化財]]となっている。
 
== 関連項目 ==
*[[宇治田原町]]
*[[山本山]]
*[[永谷園]]
*[[煎茶]]
*[[永谷宗円]]