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== セーブの成り立ち ==
[[File:Mariano Rivera throwing ball 2007.jpg|thumb|225px|MLB最多652セーブの通算記録を保持している[[マリアノ・リベラ]](2007年)]]
元々は[[アメリカ合衆国]]において、[[イリノイ州]][[シカゴ]]の地方紙[[シカゴ・トリビューン]]紙のスポーツ担当記者だった[[{{仮リンク|ジェローム・ホルツマン]]|en|Jerome Holtzman}}が{{by|1960年}}に提唱したものである。前年の{{by|1959年}}に[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の[[ピッツバーグ・パイレーツ]]の[[{{仮リンク|ロイ・フェイス]]|en|Roy Face}}が[[フォークボール]]を武器に救援専門で当時のMLB新記録となる18[[勝利投手|勝]](1[[敗戦投手|敗]])の成績を挙げ、ホルツマンが彼の成績に着目した事がきっかけとなった<ref name="114-115">{{Cite book|author=[[伊東一雄]]|title=[[メジャー・リーグ紳士録]]|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|page=114-115}}</ref>。フェイスは18勝という素晴らしい成績を残してはいたが、そのうち10勝はリードを守りきれず、先発投手の勝ち星を消してしまったがゆえに得た勝利であった。当時は救援投手の評価基準が[[防御率]]と勝敗しかなく、ホルツマンは救援投手を正当に評価する指標が必要であるという想いを強くした。ホルツマンはセーブの概念を複数のメディアに発表し、公式記録とするようにMLB機構にも働きかけ、{{by|1969年}}に正式に公式記録となった。MLBでは50年ぶりの新たな公式記録誕生となった。{{by|1973年}}から、きちんと条文が整理されて[[公認野球規則|ルールブック]]にも記載されるようになった<ref name="114-115" />。
 
{{by|1961年}}より[[{{仮リンク|スポーティング・ニューズ]]|en|Sporting News}}誌が誌上で表彰することとなった。制定当初は「(1)2点リードで登板し、1イニングを完全に投球した場合。(2)同点または勝ち越し点になる打者と対戦し、リードを守り切った場合」と現在より厳しい条件だった。このセーブに救援勝利を加算したものをセーブポイントと呼び、その両リーグ1位を最優秀救援投手として表彰した。1961年の最優秀救援投手は、[[アメリカンリーグ]]は救援勝利15と1929セーブを挙げた[[{{仮リンク|ルイス・アローヨ]]|en|Luis Arroyo}}([[ニューヨーク・ヤンキース]])。[[ナショナルリーグ]]は救援勝利14、セーブ12の[[{{仮リンク|スチュー・ミラー]]|en|Stu Miller}}([[サンフランシスコ・ジャイアンツ]])だった。
 
その後、セーブを稼ぐためにほぼセーブ機会だけに登板するクローザー(抑え投手)という役割を持った投手が現れ、特定の投手にセーブが集中するようになったため、制定当初のセーブの意義と著しく乖離するようになった。そのため、現在では[[ホールド]]などが救援投手の新たな評価基準となっている。