「稲荷森古墳」の版間の差分

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{{日本の古墳
|名称 = 稲荷森古墳
|画像 = [[File:Inari-mori Kofun zenkei-1.JPG|280px]]<br />墳丘全景<br />(左手前に前方部、右奥に後円部)
|所属 =
|所在地 = [[山形県]][[南陽市]]長岡字稲荷森
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|経度度 =140|経度分 = 9|経度秒 = 26.06
|ISO = JP-06
|形状 = [[{{前方後円墳]]}}
|規模 = 墳丘長96m96[[メートル|m]]<br />高さ9.6m(後円部)
|埋葬施設 = (推定)[[木棺]]直葬
|築造年代 = [[4世紀]]末頃
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山形県では最大、[[東北地方]]では第6位の規模の古墳で<ref group="注" name="規模">東北地方における主な古墳は次の通り。
# [[雷神山古墳]]([[宮城県]][[名取市]]) - 墳丘長168[[メートル]]
# [[亀ヶ森古墳]]([[福島県]][[河沼郡]][[会津坂下町]]) - 墳丘長127.3メートル。
# 玉山古墳(福島県[[いわき市]]) - 墳丘長110メートルから120メートル程度。
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墳形に関しては、前方部が変形していることを基に、前方部の半分が意図的に築造されなかったという「前方部半截型」説が提唱されている{{Sfn|稲荷森古墳(平凡社)|1990年}}{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。この説では、同時期の築造で東北地方最大規模の[[雷神山古墳]]([[宮城県]][[名取市]])の被葬者による古墳規制を受けたとする{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。しかし半截型とするには批判的な説もあり、検証の必要が指摘される{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
<gallery>
File:Inari-mori Kofun kouen-bu.JPG|後円部<br />{{small|2・3段目に比べ1段目は高く築造される。}}
File:Inari-mori Kofun funchou.JPG|後円部墳頂<br />{{small|中央は方位盤。}}
File:Inari-mori Kofun zenpou-bu.JPG|後円部から前方部を望む
</gallery>
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== 文化財 ==
=== 国の史跡 ===
* 稲荷森古墳 - 指定範囲面積は10,182.7[[平方メートル]]<ref name="説明板">史跡説明板。</ref>。1980年(昭和55年)5月24日指定<ref name="国指定">{{国指定文化財等データベース|401|311|稲荷森古墳}}</ref>。
 
== 現地情報 ==