「ダリオ・アルジェント」の版間の差分

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rv http://www.jmedia.tv/argento/store.htmlからの丸写しにつき。Crazies1973氏はご自身のノートでの質問にお答え下さい。
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== 略歴 ==
祖父は映画配給業者、父は[[映画プロデューサー]]のサルバトーレ・アルジェント、母親はブラジル人のエルダ・ルクサルド、仕事はカメラマンという環境で育ち、幼少時から映画に親しんできたため、[[映画]]に関わる生業に就くのは必然だったともいえる。
ダリオは、まず映画評論家からスタートした。映画評を新聞や雑誌に寄稿、ローマの日刊紙「[[パエーゼ・セラ]]」の映画批評を担当した。
 
その後、[[1967年]]に[[ベルナルド・ベルトルッチ]]と共同で[[セルジオ・レオーネ]]監督の『[[ウエスタン (映画)|ウエスタン]]』の原案を書く。それを皮切りに、[[マカロニ・ウェスタン]]、アクション作品など、様々なジャンルの脚本をこなし、娯楽映画の脚本家として名をなすことになる。脚本家の時代を経て、[[1969年]]にサイコスリラー『[[歓びの毒牙]]』で映画監督デビューを飾り、興行的成功をおさめる。以来、一貫して同様のジャンルの作品を監督し、当時はイタリアの[[アルフレッド・ヒッチコック|ヒッチコック]]とも呼ばれた。
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名言には『つまらない映画など存在しない。どんな映画にもひときわ輝くワンカットが存在する』がある。
 
==PROFONDO ROSSO==
*グラッキ通りはローマのオフィス街である。地下鉄のレ パント駅から5分ぐらい歩いていくとオフィス街には似つ かわしくない赤い看板が見えてくる。それが PROFONDOROSSO である。店には本当にダリオ・アルジェント本人や店長の(4匹の蝿で助監督を努めて以来長い付き合い)ルイジ・コッツィがいることもある。ところ狭しとホラー映画を中心とするアイテムがごった返す店内。思わぬ掘り出し物が見つかるかも知れない。 地下の博物館は少し狭いがアルジェントの監督作品、プロデュース作品の一場面を再現した蝋人形によるセットが再 現されている。ローマに行ったらまずこの店に行くことが アルジェント・フリークスの条件である。きっと快く出迎 えてくれるだろう。ここは全世界のアルジェントファンの憧れの場所である。
 
== 私生活 ==