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2~3年に1回のペースで、[[脚本家]]・[[宮内婦貴子]]原作のドラマが放送されていた(「命燃えて」、「命賭けて」、「ディア・ゴースト」、「ピュア・ラブシリーズ」など)。そのテーマは、ホームドラマから純愛、更に社会問題など、幅広い。
 
CBC制作のドラマが自社制作移行後長年主題歌に無名の若手歌手・グループを起用することが多かったのに対し、MBSは2000年代において知名度のある歌手を起用することが多かった。かつては演歌歌手や[[フォークソング|フォーク]]歌手、[[ガールポップ]]系の歌手を多く起用していたが、2000年代中盤以降は[[エイベックス・グループ]]に所属しているアーティストが中心で、「がきんちょ〜リターン・キッズ〜」では[[ジャニーズ事務所]]の[[タッキー&翼]]を起用した。また俳優・女優陣に於いても、CBCが若手俳優や若手女優を起用することに対し、MBSは脇役陣もベテランを起用する傾向が見られた。夏休み期になると、[[ゴールデンタイム]]並の豪華キャストになることも多かった。
 
一部の東京制作を除いて一貫して[[大阪府]][[吹田市]]の[[毎日放送千里丘放送センター|千里丘放送センター]]で制作していたが、[[2001年]]10月の「[[ひとりじゃないの (テレビドラマ)|ひとりじゃないの]]」以降の作品からは、[[大阪市]][[此花区]]の[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]内にある「[[MBSスタジオ in USJ]]」で制作していた。MBS制作の作品は、[[1992年]]12月の「[[命の旅路]]」から東京での制作も行うようになった。東京制作の作品は[[緑山スタジオ・シティ]]、[[東京メディアシティ|TMC砧スタジオ]](いずれもキー局のTBSが出資しているスタジオ)など東京都内及び東京近郊のテレビスタジオで制作された。東京のスタジオでこれまでに制作した作品は「[[桜咲くまで]]」(TMC収録)(2004年2・3月)「[[虹のかなた]]」(TMC収録)(2004年8・9月)、「[[ヤ・ク・ソ・ク]]」(緑山スタジオ収録)(2005年6・7月)、「[[銭湯の娘!?]]」(緑山スタジオ収録)(2006年2・3月)、「[[がきんちょ〜リターン・キッズ〜]]」(TMC収録)(2006年8月・9月)、「[[お・ばんざい!]]」(緑山スタジオ収録)(2007年9・10月)、「[[ナツコイ]]」(TMC収録)(2008年7・8月)などがあった。
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CBC制作の作品は、一時期MBS制作と同様にヒューマンドラマや医療ドラマ(実際の医療過誤裁判を扱った『娘からの宿題』など)を放送した時期もあったが、基本的に時期を問わずコメディタッチな家族劇が中心である(例:「[[キッズ・ウォー]]」「[[キッパリ!]]」など)。東京制作時代には、『[[みちのく温泉逃避行]]』『[[詐欺 狙われた実印]]』といったサスペンスドラマ、『[[風たちの遺言]]』のようなメロドラマを放送していた事もあった。
 
制作はスタート1年目までは名古屋の本社で行っていたが、人材や予算の都合から[[1993年]]4月の「[[危険な再会]]」から東京支社に移り、外注での制作となった。1998年に同局の新社屋が落成したことにより、スタジオの余剰ができたことから[[1999年]]の「[[直子センセの診察日記]]」からは再び名古屋での制作に切り替えた。東京支社制作時代は東海テレビ制作の昼ドラのように、企画と宣伝、番組配信のみCBCが担当し、ドラマ自体の制作及び著作権は外部のテレビ制作会社([[共同テレビジョン|共同テレビ]]、[[総合ビジョン]]、[[テレパックC.A.L]]、[[テレビマンユニオンザ・ワークス]]、[[東阪企画]]など。会社によっては、裏番組である[[東海テレビ制作昼ドラマ]]の製作を担当する事もあった)が行ったが、名古屋本社に移ってからは主に自社製作だった。本社に制作主導が移った後、CBC制作分のヒットドラマとなった[[キッズ・ウォー]]シリーズなどでは名古屋市内や[[愛知県]]内、[[浜松市]]などがロケになっている事もあった。
また、CBC制作は基本的にデビュー間もない若手歌手・グループの楽曲を主題歌に起用することが多かった。[[ZONE (バンド)|ZONE]]はこの枠で話題となり、『[[NHK紅白歌合戦]]』にも出場するなど、若手歌手にとっても登竜門的色合いがあった。
 
また、CBC名古屋での自社制作は基本的切り替えて以降は、デビュー間もない若手歌手・グループの楽曲を主題歌に起用することが多かった。[[ZONE (バンド)|ZONE]]はこの枠で話題となり、『[[NHK紅白歌合戦]]』にも出場するなど、若手歌手にとっても登竜門的色合いがあった。
制作はスタート1年目までは名古屋の本社で行っていたが、人材や予算の都合から[[1993年]]4月の「[[危険な再会]]」から東京支社に移り、外注での制作となった。1998年に同局の新社屋が落成したことにより、スタジオの余剰ができたことから[[1999年]]の「[[直子センセの診察日記]]」からは再び名古屋での制作に切り替えた。東京支社制作時代は東海テレビ制作の昼ドラのように、企画と宣伝、番組配信のみCBCが担当し、ドラマ自体の制作及び著作権は外部のテレビ制作会社([[共同テレビ]]、[[総合ビジョン]]、[[テレパック]]、[[テレビマンユニオン]]、[[東阪企画]]など。会社によっては、裏番組である[[東海テレビ制作昼ドラマ]]の製作を担当する事もあった)が行ったが、名古屋本社に移ってからは主に自社製作だった。本社に制作主導が移った後、CBC制作分のヒットドラマとなった[[キッズ・ウォー]]シリーズなどでは名古屋市内や[[愛知県]]内、[[浜松市]]などがロケになっている事もあった。
 
=== その他 ===