「岩井俊二」の版間の差分

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ホシ9 (会話 | 投稿記録)
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小学時代、ほかに家にレコードがなかったため、百科事典のオマケについていた『世界の名曲』というレコード集で[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]や[[フレデリック・ショパン|ショパン]]を聴き込んでいたという。[[ターンテーブル]]は幼稚園の頃から家にあった<ref>[http://www.inlifeweb.com/reports/report_438.html INLIFE 男の履歴書 岩井俊二]</ref>。
 
[[1988年]]、[[ビーイング]]などの[[ミュージック・ビデオ]]の仕事を始める。[[1993年]]、[[テレビドラマ]]『[[if もしも]]~[[打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?]]』を演出し、[[日本映画監督協会新人賞]]を受賞。テレビドラマでの受賞はきわめて異例である。同作品は再編集され、[[1994年]]劇場公開される。[[1995年]]、初の長編映画『[[Love Letter (1995年の映画)|Love Letter]]』を監督。日本や中国でも好評だったが、[[大韓民国|韓国]]では特に爆発的な人気を呼んだ。これに続く『[[スワロウテイル]]』は賛否両論あったが、岩井の知名度を大きく上げた作品である。
 
その後長編・短編作品を順調に公開し、独特な映像美から「岩井美学」などと呼ばれるようになる。初めてドキュメンタリーを発表した[[1999年]]頃から劇映画の監督業以外にもフィールドを広げ、[[2000年]]には[[庵野秀明]]監督作の『[[式日]]』に俳優として出演。新しい技術の取り組みにも熱心で、日本で最初にAVIDによる[[ノンリニア編集]]を取り入れ、『式日』と同じ年には[[インターネット]]上の[[電子掲示板|BBS]]を使った大衆参加による小説『[[リリイ・シュシュのすべて]]』を完成、映画化する。この映画もまた[[HD24P]]という、フィルム表現に近いデジタル撮影による新しい方法で行われ、仮編集は[[アップル (企業)|Apple]][[PowerBook]]が用いられた。この撮影法をいち早く取り入れた一人である。また、[[2003年]]には[[WEB配信]]という新しい上映方法で『[[花とアリス]](ショートフィルム)』を公開。