「前漢」の版間の差分

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7代[[武帝 (漢)|武帝]]の時に全盛を迎え、その勢力は北は[[外蒙古]]・南は[[ベトナム]]・東は[[朝鮮半島|朝鮮]]・西は[[敦煌市|敦煌]]まで及んだが、14代[[孺子嬰]]の時に重臣の[[王莽]]により[[禅譲|簒奪]]され一旦は滅亡、その後漢朝の傍系皇族であった劉秀([[光武帝]])により再興される。前漢に対しこちらを[[後漢]]と呼ぶ。
 
中国においては東の[[洛陽]]に都した後漢に対して西の長安に都したことから'''西漢'''と、後漢は'''東漢'''と称される<ref>京大東洋史辞典編纂会『新編東洋史辞典』東京創元社、1990、p170.</ref>。前漢と後漢との社会・文化などには強い連続性があり、その間に明確な区分は難しく、前漢と後漢を併せて'''両漢'''と総称されることもある。この項目の社会や文化の節では前漢・後漢の全体的な流れを記述し、後漢の項目では明確に後漢に入って流れが変化した事柄を記述する。
 
[[漢]]という固有名詞は元々は[[長江]]の支流である[[漢水]]に由来する名称であり、本来は劉邦がその根拠地とした[[漢中郡|漢中]]という一地方をさす言葉に過ぎなかったが、劉邦が天下統一し支配が約400年に及んだことから、中国全土・中国人・中国文化そのものを指す言葉になった(例:「[[漢字]]」)。
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