「オリバー・カーン」の版間の差分

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|年1=1987-1990|クラブ1={{flagicon|GER}} [[カールスルーエSC|カールスルーエII]]|出場1=73|得点1=0
|年2=1987-1994|クラブ2={{flagicon|GER}} [[カールスルーエSC|カールスルーエ]]|出場2=128|得点2=0
|年3=1994-2008|クラブ3={{flagicon|GER}} [[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]|出場3=429|得点3=0
<!--国内リーグ戦に限る-->
|クラブ成績更新日=
16歳の時にはクラブチームの加入試験にことごとく落ちる。[[カールスルーエSC|カールスルーエ]]に加入するまでは筋力トレーニングなど雌伏の時期を過ごした。カールスルーエでは数年かかって正GKの座を確保した。
 
[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]や[[UEFAカップ]]での活躍が認められ、1994年、名門[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]へ移籍。初年度は味方[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]の[[サミュエル・オセイ・クフォー|クフォー]]と衝突し膝の十字靱帯を切断したためシーズンを棒に振たが、翌年からは活躍を見せた。コンスタントにレベルの高いパフォーマンスを見せ、バイエルン・ミュンヘンのGKコーチ、ゼップ・マイヤーの下でワールドクラスのGKに成長した。
 
1998-99シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝は{{要出典範囲|大会史上に残る名勝負となったが|date=2017-04}}、終了直前の3分間に2失点を喫し、[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]に敗れた。1999-00シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。またドイツサッカー雑誌「[[キッカー (新聞)|キッカー]]」の選手ランキングでも幾度も「ワールドクラス」の評価を得ており、1999年から2003年頃までドイツの各テレビや雑誌では世界ナンバーワンGKと紹介された。
 
== エピソード ==
* [[2001年]][[3月3日]]に行われた[[ハンザ・ロストック]]対[[バイエルン・ミュンヘン]]の試合において、[[シュテファン・エッフェンベルク]]が上げた[[コーナーキック]]を[[ハンドリング (サッカー) |ハンド]]でゴールを決めて、2枚目の[[イエローカード]]を貰って[[退場]]した。
ドイツでの彼の人気を物語るものとして、彼をモチーフにした曲「OLLI KAHN(オリ カーン)」がある。旧・東ドイツの都市・[[ライプツィヒ]]出身の音楽グループの[[ディー・プリンツェン]] ([[w:de:die Prinzen|die Prinzen]]) によるこの曲は2002 FIFAワールドカップの頃に発売された。
* 2006 FIFAワールドカップでは、[[ミュンヘン]]の[[高速道路]]に横っ飛びしてキャッチしているカーンの巨大アーチ看板が作られた。これはミュンヘン空港からスタジアムに向かう道をまたいでおり、観戦客はカーンの体の下を通過してスタジアムに向かうこととなった。
|1993-94||31||0||3||0||10||0||44||0
|-
|1994-95||rowspan="14"|[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]||23||0||2<sup>注1</sup>||0||5||0||30||0
|-
|1995-96||32||0||2||0||12||0||46||0
|title=歴代主将
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{{FCバイエルン・ミュンヘン歴代主将}}
}}
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[[Category:サッカードイツ代表選手]]
[[Category:カールスルーエSCの選手]]
[[Category:FCバイエルン・ミュンヘンの選手]]
[[Category:FIFA100]]
[[Category:1994 FIFAワールドカップ出場選手]]