「アルバート・マイアー」の版間の差分

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[[1858年]]、陸軍はマイアーの発明に興味を持ち、「信号伝達の原理と計画、戦場における使い方、および軍隊に導入する方法」について調査する委員会を指名した。マイアーは[[ロバート・E・リー]]中佐が委員長を務める委員会に出頭し、その発明を現場でテストすることを承認させた。マイアーは[[ニューヨーク港]]周辺でその年4月に始まった現場テストを遂行した。このテストは成功し、[[アメリカ合衆国陸軍長官]][[ジョン・ブキャナン・フロイド|ジョン・B・フロイド]]が[[アメリカ合衆国議会]]に対して、陸軍がマイアーの発明を採用すること、ならびにマイアーを信号士官長に指名することを推薦した。議会は、上院で[[ミシシッピ州]]選出の[[ジェファーソン・デイヴィス]]上院議員から反対があったものの、マイアーを少佐と信号士官長に指名し、信号司令部を創設することを承認した。マイアーは[[ディネ|ナバホ族]]インディアンに対する作戦でさらに現場テストを行うために[[ニューメキシコ州|ニューメキシコ]]方面軍に派遣された<ref name=Cameron/>。
 
[[1857年]][[8月24日]]、マイアーはバッファローの著名な弁護士の娘、キャサリン・ウォルデンと結婚し、夫妻には6人の子供が生まれた<ref name=TX/>
 
== 信号司令部と南北戦争 ==