「パティ・ボイド」の版間の差分

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=== ハリスンとの破局 ===
ハリスンはイングランド北部の保守的な労働階級出身であり、妻は妻は家にいるべきだという考えであった。そで、ためボイドはモデルの仕事を減らしていた。自分を意思を殺し抑えまでハリスンの意向に従っていたの離婚の遠因であった。
レノンと[[ミック・ジャガー]]もまた、ボイドに惹かれていたと発言しており、ジャガーは1980年代当時の恋人であったベベ・ビューエル(Bebe Buell)に、彼がボイドを数年に渡って誘惑したがダメだったことを告白している<ref name="SydneyMorningHerald1"/><ref name="bebebuell">{{cite book |first=Buell, Bebe |last=Bockris, Victor |url=http://books.google.com/books?id=x3ldMZrwQrQC&pg=PA117&dq=pattie+boyd&ie=ISO-8859-1&sig=ecEjx5WD4lTAuzPutYq7Vu2nVUE#PPA117,M1 |title=Rebel Heart: An American Rock 'n' Roll Journey|publisher=St. Martin’s press |accessdate=2008-03-08}}</ref>。1973年、ボイドは後に[[ローリング・ストーンズ]]のメンバーとなる[[ロン・ウッド]]と浮気をし、そこでハリスンとは破局した<ref name="WoodHarrisonSleepingWithWife">{{cite web |first=Ronnie |last=Wood |url=http://www.dailymail.co.uk/pages/live/articles/showbiz/showbiznews.html?in_article_id=484697&in_page_id=1773 |title=The night I told George Harrison I was sleeping with his wife |work=[[Daily Mail]] |date=2007-09-29|accessdate=2008-03-06}}</ref>。 ボイドによると、ハリスンは病気という名目で彼女との休暇の約束を取り消し、ウッドの妻であるクリシーを誘って[[サルバドール・ダリ]]に会いにスペインに行っていたという。しかしハリスンはクリシーと関係を持ったことは後に否定している<ref name="dailymailpart2"/>。ボイドの弁解は、ハリスンがクリシー・ウッドとスペインに行っている間、彼女は妹のポーラと共に[[バハマ]]へ旅行しており、そのときにロン・ウッドが同行したいと言ってきたというものだった<ref name="dailymailpart2"/>。ボイドとウッドはロンドンに帰るとすぐ記者たちに嗅ぎ付けられ、1973年11月25日に二人のことが報道される。ボイドはハリスンの宗教への加熱と性格の変貌が、取り返しがつかないほど彼女を遠ざけたと述べている。その後1974年の6月に離婚。ボイドは[[ロサンゼルス]]にいた妹のジェニーのもとに身を寄せた。