「メトロポリタン歌劇場」の版間の差分

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舞台芸術の殿堂として知られるリンカーン・センターの現劇場は建築家ウォレス・ハリソン ([[:en:Wallace Harrison|Wallace Harrison]]) が設計したものである。公式開業より前の1966年4月11日、初めてこの新劇場で上演されたのは[[ジャコモ・プッチーニ]]作の『[[西部の娘]]』であった。「新メト」は1966年9月16日、[[サミュエル・バーバー|バーバー]]の『[[アントニーとクレオパトラ (オペラ)|アントニーとクレオパトラ]] ([[:en:Antony and Cleopatra (opera)|Antony and Cleopatra]])』の世界初演でこけら落としを行った。
 
創立後1年間は全演目イタリアオペラ、翌年は同じくドイツオペラ、続く5年間は全演目をドイツ語上演、続いてはイタリア語に切り替えるなど、上演形態はかなり迷走が続いた。その後、英訳上演が定着したが、戦後の原語上演主流化にともなってこれにならい(ただし、現在でも時おり青少年向けを目的として英語上演を行うこともある)、音楽監督不在も解消。長年弱体といわれたオーケストラも技術的に向上し、全米を代表するのみならず欧州一流歌劇場に比肩する存在感を高めた。特に、セットやゲスト歌手の豪華さでは定評がある。
 
メト・オペラ・カンパニーのオフ・シーズン中は[[アメリカン・バレエ・シアター]]の春季公演のホームとして使われる。また、[[マリインスキー・バレエ|キーロフ・バレエ]]、[[ボリショイ劇場|ボリショイ]]、および[[スカラ座]]カンパニーなど著名なオペラおよびバレエ・カンパニーのツアー公演を定期的にホストする。[[ウラディミール・ホロヴィッツ]]、[[キャスリーン・バトル]]およびその他のパフォーマーの[[リサイタル]]も行われる。1976年には[[フィリップ・グラス]]の『[[アインシュタイン・オン・ザ・ビーチ]] ([[:en:Einstein on the Beach|Einstein on the Beach]]) 』が単独で上演された。
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上演組織と著名な公演や出演者などの加筆が必要。かの支配人ルドルフ・ビングの名も挙げないといけない
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== 建物と舞台装置 ==
建物は白い[[トラバーチン]]大理石で覆われ、東のファサードは5つのアーチで飾られている。ロビーには[[マルク・シャガール|シャガール]]に委嘱した二つの壁画が展示される。また、[[アリスティド・マイヨール]]と[[:en:Wilhelm Lehmbruck|Wilhelm Lehmbruck]]による彫刻やメトの著名なパフォーマーたちの肖像画が飾られている。劇場の収容人数は約3,800席と195名の立見、合計3,995名である。黄金色のプロセニアムは幅・高さとも約16mある。緞帳は特注で織られた金糸入りのダマスク(緞子)で世界最大のタブカーテン(舞台正面の引割りカーテン)である。