「センティヌムの戦い」の版間の差分

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クイントゥス・ファビウスは敵軍の継戦能力を試すために防御戦闘を行って戦闘を長引かせ、連合軍の戦闘意思が衰えるのを待った。プブリウス・デキウスはより積極的に戦い、騎兵に攻撃を命じ、サムニウムの騎兵を二度にわたって後退させた。二度目の攻撃では敵の歩兵部隊に迫ったが、連合軍の[[チャリオット|戦車]]攻撃で撃退されてしまった。この戦車部隊はデキウスの歩兵の戦列も崩し、サムニウム軍歩兵が攻撃を開始した。プブリウス・デキウスは自身が「生贄となる」ことを決心した。すなわち、軍が危機に瀕していたときに、神に祈り、自身を犠牲にすることで自軍を敵に向かわせた。彼の父[[プブリウス・デキウス・ムス1世|プブリウス・デキウス・ムス]]も[[紀元前340年]]のヴェスヴィウスの戦いで同じ行為を行っていた。
 
この行為はローマ軍の士気を上げ、またクイントゥス・ファビウスが支援要請をしていた予備2個軍団も到着した。ローマ軍右翼では、ファビウスが騎兵に対してサムニウム軍左翼を迂回して側面を攻撃するように明治命じ、また歩兵に対しては前進を命じた。続いて予備兵力にも攻撃を命じた。ついにサムニウム兵はガリア兵の戦列を越えて逃走した。ガリア兵は各兵士が密集して楯で全面・側面および上部を防御する亀甲陣形を敷いた。クイントゥス・ファビウスは500人のカンパニア槍兵に対し、背後からの攻撃を命じた。また軍団歩兵も中央部に圧力をかけ、騎兵も攻撃に加わった。その間にクイントゥス・ファビウスはサムニウム軍野営地を急襲し、後部との連絡を断ち切った。結局はガリア軍も敗北した。リウィウスによるとローマ軍の損害は8,700、サムニウム・ガリア連合軍の損害は20,000であった<ref>Livy, The History of Rome 10.28-29</ref>。
 
== その後 ==
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