「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」の版間の差分

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=== 植民地支配体制確立後の中南米社会の様相 ===
[[ファイル:Cerro ricco.jpg|220px|thumb|[[ポトシ]]の{{仮リンク|セロ・リコ|es|Cerro Rico|en|Cerro Rico}}(富の山)。植民地時代には[[銀]]が、[[ボリビア]]独立後には[[錫]]が採掘された。ポトシの銀はヨーロッパ先進国に流入し、現在の繁栄の礎を築いたが、2007年現在のボリビアは未だに南米で最も貧しい国<ref>[http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/gaiko/oda/seisaku/enjyo/pdfs/bolivia_01an.pdf 「対ボリビア国別援助計画第一次案」平成19年 日本国外務省のホームページより]2009年4月8日閲覧</ref>である。]]
{{See also|メスティーソ|ムラート|サンボ|:en:Zambo|マルーン}}
 
征服後、[[スペイン|スペイン人]]を頂点とする厳格で抑圧的な[[植民地]]支配の体制が確立されていった。征服後の社会でスペイン人たちは圧倒的な社会的、経済的な力をもち、それを背景に多くのインディオ女性を[[妾]]として性的関係を結ばせた。これによって[[メスティーソ]]の数がさらに、増加することとなる。また、スペイン人の文化が至上のものとされ、インディオの文化は卑しく醜いものとされた。さらに、[[アフリカ]]大陸から多数の黒人奴隷が連行され、北はフロリダ半島から南はラ・プラタ川まで各地で黒人は家内労働やプランテーションでの重労働に従事した。