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全日本にも最終戦で投入され、[[1987年]]には[[ロス・チーバー]]がチャンピオンを獲得した。しかしライバルでもあった[[ラルト]]の戦闘力もあって、各国で行われているF3で激しい戦いを繰り広げた。全日本では[[1988年]]年以降においてラルトや[[トムス]]が大きな壁となりチャンピオンを奪取する事が出来なかった。
 
地元であるイギリスF3では[[1986年]]から[[1988年]]までの3年連続と[[1992年]]の4回チャンピオンマシンとなり、ライバルのラルトとチャンピオン争いを繰り広げた。しかしラルトの衰退と[[ダラーラ]]のエアロダイナミクスの良さに伴う速さがレイナードユーザーからの乗換えを加速させた。ドイツでは[[1990年]]に[[ミハエル・シューマッハ]]が、また[[1992年]]は[[ペドロ・ラミー]]がチャンピオンを獲得した。
 
またF3エンジンのパワーが170馬力前後(現在では約200馬力)と非力なのにも関わらず、ライバルであるラルトや[[ダラーラ]]よりも大きなサイドポンツーンが空気抵抗となり、レイナードユーザー離れを加速させてしまい1993年でマシンの製作を終了した。