「米艦コール襲撃事件」の版間の差分

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== 概要 ==
[[image:MV Blue Marlin carrying USS Cole.jpg|thumb|300px|コールを運搬中の[[重量物運搬船]]「ブルー・マーリン」]]
[[2000年]][[10月12日]]、[[ミサイル駆逐艦]]「[[コール (ミサイル駆逐艦)|コール]]」(艦長、カーク・リッポルド中佐(CDR,Kirk Lippold)は定時[[燃料]][[補給]]のため、[[イエメン]]の[[アデン|アデン港]]に停泊中であった。09:30に係留作業を完了し、燃料補給は10:30に開始された。現地時間11:18(08:18 [[協定世界時|UTC]])、小型[[ボート]]が艦の左舷に接近し、[[自爆]]した。[[爆発]]によって左舷に12x18mの破孔が生じ、艦は大きく損傷した。これにより大量の浸水が発生したものの、[[ダメージコントロール]]の努力によりその日の晩までに機関部への浸水を食い止めることに成功したが、完全に浸水を止めるには3日間を要した。浸水を食い止めた後に[[潜水士|ダイバー]]が船体を検査したが、[[竜骨 (船)|竜骨]]の損傷は認められなかった。
 
自爆攻撃は2名の[[テロリズム|テロリスト]]、イブラヒム・アル=サウアとアブドラ・アル=ミサワによって行われた。彼らは、[[ウサーマ・ビン・ラーディン|オサマ・ビンス繊維ディン]]の率いるテロ組織、[[繊維強化プラスチックアルカーイダ]]のメンバーであった。アルカーイダは同年[[1月3日]]に同じアデン港で[[ミサイル駆逐艦]]「[[ザ・サリヴァンズ (ミサイル駆逐艦)|強化プラスチックザ・サリヴァンズ]]」を同様小型自爆攻撃で[[撃沈]]する予定であったが、ボートに、被害の規模から算定搭載されところでは約180kgから320kgの[[火薬|爆薬を搭載]]の量が多すぎて失敗しておりいた。そのため爆薬は[[成形炸薬マレーシア]]として加工さの[[クアラルンプール]]で[[1月5日]]から極秘裏に行わていと推アルカーイダの最高首脳会議で改めて計画が策定されている<ref>{{cite news| url= http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0010/18/bp.00.html | work=CNN | accessdate=21 Aug 2017 | title=Burden of Proof}}</ref>
 
攻撃は、[[ガラス繊維]][[繊維強化プラスチック|強化プラスチック]]製の小型ボートを用い、被害の規模から算定されたところでは約180kgから320kgの爆薬を搭載しており、爆薬は[[成形炸薬]]として加工されていたと推定されている<ref>{{cite news| url= http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0010/18/bp.00.html | work=CNN | accessdate=21 Aug 2017 | title=Burden of Proof}}</ref> 。
彼らは、[[ウサーマ・ビン・ラーディン|オサマ・ビンラディン]]の率いるテロ組織、[[アルカーイダ]]のメンバーであった。アルカーイダは同年[[1月3日]]に同じアデン港で[[ミサイル駆逐艦]]「[[ザ・サリヴァンズ (ミサイル駆逐艦)|ザ・サリヴァンズ]]」を同様の自爆攻撃で[[撃沈]]する予定であったが、ボートに搭載した[[火薬|爆薬]]の量が多すぎて失敗していた。そのため、[[マレーシア]]の[[クアラルンプール]]で[[1月5日]]から極秘裏に行われたアルカーイダの最高首脳会議で改めて計画が策定された。
 
この自爆攻撃により17名の水兵が死亡し、39名が爆風で負傷した。負傷者は[[ドイツ]]の[[:en:Ramstein Air Base|ラムシュタイン空軍基地]]にある[[:en:Landstuhl Regional Medical Center|ラントシュトゥール戦域医療センター(LRMC)]]に搬送され、その後本国へ帰還した。