「花笠まつり」の版間の差分

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[[山形市]]で開催される花笠まつりは「'''山形花笠まつり'''」と呼ばれる。例年[[8月5日]]・[[8月6日|6日]]・[[8月7日|7日]]の3日間開催され、パレードは[[文翔館]]正面から南西方向に伸びる[[山形県道19号山形山寺線|県道19号山形山寺線]]および[[国道112号]]([[七日町商店街]]ほか)で開催される。
 
元々山形市の伝統行事は、[[山形藩]]初代藩主である[[最上義光]]を祭る'''義光祭'''(きごうさい)であった。[[山形新聞]]・山形交通(<small>現</small>[[ヤマコー]])の社長で事実上の山形県の最高実力者であった[[服部敬雄]]が、山形県内で比較的伝統的な踊りを夏期観光の目玉として売り出すことを提唱し、1963年(昭和38年)に「蔵王夏まつり」のイベントの1つとして「花笠音頭パレード」が始まった。その後、[[1965年]](昭和40年)から「山形花笠まつり」として独立し、現在に至る。
 
服部の影響下のマスコミ([[山形新聞]]・[[山形放送]])による大宣伝、バス会社による花笠見物を売り出す団体旅行の募集や旅館・ホテルのあっせんといった服部らの努力により、花笠まつりは以前と比べれば全国的な知名度を上げた。しかし、山形新聞、山形交通グループ企業で花笠まつりに関する諸権利をほとんど独占していることから、観光客が地元商店街に落とした金をほとんど吸い上げるとも批判されている。
 
祭り期間中ゲストとして歌手が呼ばれ、山車行列をするが、服部が陣取る貴賓席の前に来ると、ゲストは[[山車]]から降りて服部に頭を下げて挨拶することが恒例であった。今日でも、同まつりを「服部まつり」や「山新まつり」と揶揄する者もいる。
 
団体によっては小学生以下の少女が[[厚化粧]]で参加する。
 
またJR[[山形駅]]では、1~4番線に「花笠音頭」の[[発車メロディ]]が採用されている。