「藤岡琢也」の版間の差分

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映画ではお調子者の中間管理職や中小企業の社長役を演じた。初の主演映画は[[1970年]]の『喜劇 がんばれ日本男児』。映画では、小狡い小悪党の役も巧くこなし、単なる善良な父親だけではない幅広い役柄を演じた。[[1969年]]から[[森繁久彌]]主演の映画『[[社長シリーズ]]』にも数本出演し、1970年には[[明治座]]において森繁劇団10周年記念公演に出演した。[[1986年]][[10月29日]]から、[[TBSテレビ|TBS]]系で放送された森繁主演のテレビドラマシリーズである『[[おやじのヒゲ]]』に10年にわたってレギュラーとして出演した。森繁からはプライベートでも実弟のように大変可愛がられていたという。[[小林桂樹]]とも昔からの共演が縁でとても仲が良かったそうで、晩年は[[ツーカー]]の携帯電話のCMで一緒に共演した。
 
テレビドラマでは、大阪を舞台とした商人ものやホームドラマなどに数多く出演。特にホームドラマでは、小太り・黒縁の眼鏡・口ヒゲといった特徴的な風貌で登場し、「家に帰ると背広から和服に着替えて一杯飲む」という、一時代前の典型的な日本の父親を努めて演じた点での功績が大きい(演じる役柄によっては[[関西弁]]を強調した話し方もこなした)。同系統の役柄を多く演じたのは[[1960年代]]には森繁が挙げられるが、その後継者的位置を確立した。また、演じる役柄によっては[[関西弁]]を強調した話し方もこなした
 
[[1984年]]、[[橋田壽賀子]]脚本『[[大家族 (テレビドラマ)|大家族]]』出演をきっかけに、その後、多くの橋田作品に起用された。特に[[1990年]]よりスタートした『[[渡る世間は鬼ばかり]]』での五人姉妹の父親である[[岡倉大吉]]役は晩年の代表作と言われ、認知度も高い。
[[2006年]][[2月21日]]、[[肺炎]]のために『渡る世間は鬼ばかり』を降板<ref group="注釈">後任は[[宇津井健]]が務めた</ref>。同年[[10月20日]]午後3時18分、[[慢性腎不全]]のため[[東京都]][[新宿区]]の[[慶應義塾大学病院]]で死去。{{没年齢|1930|9|4|2006|10|20}}。戒名は「夢藤岡琢也霊位」。「渡る世間は鬼ばかり」2005年3月放送の第7シリーズ最終話が藤岡の遺作となった。
 
2006年[[10月24日]]、[[増上寺]]において葬儀がとりおこなわれた。会場には生前本人が好きだった[[ジャズ]]音楽が流された。『渡る世間は鬼ばかり』の[[石井ふく子]]プロデューサー、岡倉家の五人姉妹([[長山藍子]]、[[泉ピン子]]、[[中田喜子]]、[[野村真美]]、[[藤田朋子]])やドラマの共演者が葬儀に参列している。弔辞は泉ピン子が読み上げ、藤岡の出棺の際には親友の[[長門裕之]]が「'''琢さん お疲れ様'''」と声を挙げていた。[[水前寺清子]]も見送った<ref group="注釈">ピン子は藤岡を私生活でも芸能界の父親と慕っていた</ref>。
 
弟子に[[藤井つとむ]]らがいた。
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