「エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール」の版間の差分

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ショワズールは戦争中から引き続き戦争後も第一大臣としていくつもの重要役職を兼務した。その外交政策では、ショワズールはフランスの敵はイギリスと考え、そのイギリスがプロイセンと同盟している以上、オーストリアとの同盟を堅持し、また家族協定も同様であった。オーストリアとの同盟を確固たるものにするために、[[マリー・アントワネット]]を皇太孫の妃として迎え入れた。国内では軍事力の回復、とくに海軍力の増強を図っていた。ショワズールにとって、また、この時代の誰にとっても七年戦争の終結は次のイギリスとの戦争までの休憩に過ぎなかった。
 
国内では、財政再建には完全に失敗している。後の時代から見ればフランスは革命に向けて一直線であった。その他着目すべきは、[[イエズス会]]の禁止が挙げられよう。ショワズールが一貫して教会勢力に冷たかったことは、[[皇太子#ヨーロッパ大陸諸国の王太子・皇太子|王太子]][[ルイ・フェルディナン (フランス王太子)|ルイ]]との関係を決定的に悪くした。ルイは常に政府指導の外部にあって、ショワズールの指導を批判的に見ていたが、この件は特に批判的だった。そのためルイの即位はショワズールの即罷免を意味していたが、幸か不幸かルイは早くに亡くなった。
 
=== 晩年 ===