「連合艦隊司令長官 山本五十六」の版間の差分
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== あらすじ ==
昭和14年([[1939年]])、日本では日独防共協定を日独伊三国軍事同盟に格上げしようとする動きが強まっていた頃、[[新潟県]]・[[長岡市|長岡]]の地で渡し舟に妙な男が乗っていた。
独ソ不可侵条約の成立に伴い三国同盟派の平沼内閣は総辞職したうえ、米内内閣が成立して山本も海軍次官から連合艦隊司令長官
昭和16年、日本はアメリカとの開戦を決意した。未だ続いていた日米交渉
緒戦の勝利によって日本中が沸きかえり、自らの企図した早期講和の考えと異なる方向に動き始めたことから、山本は講和の機会を得るためにも米空母部隊を誘い出して一気に撃破すべく、連合艦隊の新たな旗艦となった戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]において[[ミッドウェー島]]を攻略する作戦を立案した。昭和17年4月の[[ドーリットル空襲|本土初空襲]]もあってミッドウェー攻略作戦は採用され、山本
昭和17年8月に始まった[[ガダルカナル島]]の攻防戦は激しさを増し、陸軍を支援すべく行った[[駆逐艦]]による島への物資輸送も制空権を奪われた状況では損害を増やすばかりであった。山本の命令で、戦局打開を図るべく戦艦[[金剛 (戦艦)|金剛]]と[[榛名 (戦艦)|榛名]]がガダルカナル島の飛行場を砲撃し、[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]・[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]以下残存の空母部隊も米空母部隊と激
昭和18年4月、連合艦隊司令部は[[ラバウル]]基地に移り、ソロモン諸島の制空権を奪還すべく空母の航空隊をラバウルに進出させ
== スタッフ ==
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