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[[渡来人]]の[[秦氏]]が拠点とした地の一つで、その祖霊として創建し、全国に約3万社あるといわれる[[稲荷神社]]の総本社である[[伏見稲荷大社]]が同地区北東部にあり、季節にかかわらず観光客で賑わっている。
 
地区内を[[京街道]]の一部で港町伏見と京都を結ぶ[[竹田街道]]([[国道24号線]])と[[伏見街道]]([[直違橋通]])、伏見の[[京町通 (京都市)|京町通]]から繋がる[[師団街道]]が南北に走り、[[稲荷山]]と[[大岩山 (京都府)|大岩山]]の間の峠を東西に[[勧修寺]]に至る[[大岩街道]]、京都を通らずに[[大津宿]]と[[伏見宿]]を結ぶ[[東海道五十七次]]の一部であ[[藤森神社]]前から街道を経て[[髭茶屋追分]]に至る[[大街道]]大亀谷[[墨染]]から八科峠を経て[[六地蔵]]に至る[[奈良街道 (京都府)|奈良街道]]([[墨染通]])なども通る古くからの交通の要衝である。また鉄道も[[京阪本線]]、[[JR奈良線]]、[[近鉄京都線]]通り、京都市街地や[[山科区]]、[[宇治市]]、[[城陽市]]方面へのアクセスも容易である。
 
かつての[[京都府]]([[山城国]])[[紀伊郡]]深草村であり、[[1931年]](昭和6年)4月1日に京都市へ編入され伏見区の一部となった。昔から分区構想がたびたび出ていることもあり、地域内の住民登録や行政事務は深草向畑町にある伏見区役所深草支所にて独自に行われている。[[第16師団 (日本軍)|第16師団]]司令部が置かれていたが、戦後は庁舎が[[学校法人聖母女学院]]の本館となり、[[琵琶湖疏水]]に架かる橋に施された意匠や、[[師団街道]]、軍人湯などの名称、[[国立病院機構京都医療センター]]の存在などにも名残が見られる。周辺の陸軍用地跡には[[京都教育大学]]や[[龍谷大学]]などが出来たため学生も多く住む。