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'''松下 清景'''(まつした きよかげ、? - [[慶長]]2年([[1597年]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[徳川氏]][[家臣]]。後に[[井伊氏]]の[[家老]]を務めた。通称は'''源太郎'''
 
== 概要 ==
[[松下常慶]]は弟とされる。
 
[[天正]]2年([[1574年]])、[[井伊直政]]の母[[奥山ひよ|奥山氏]]と再婚し、直政の[[継父]]となる。直政が徳川家臣として頭角を現し、[[箕輪城]]城主となるとそれにつき従い、慶長2年(1597年)に城下の屋敷で死去した。[[中野直之]]の次男の松下一定を養子として跡を継がせており、松下家は井伊兵部少輔家([[与板藩]])の重臣として続いた。
 
== 参考文献 ==
*[[上田正昭]]他『日本人名大辞典』(講談社、2001年)
*『三百藩家臣人名事典4』(新人物往来社、1988年)
*小宮山敏和「井伊直政家臣団の形成と徳川家中での地位」・「近世初期における譜代大名〈家中〉の成立」『譜代大名の創出と幕藩体制』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-03468-5
 
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[[Category:戦国武将]]
[[category:生年不明]]
[[Category:1597年没]]
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