「ピラミッド」の版間の差分

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==== 真正ピラミッド ====
[[ファイル:Kheops-coupe.svg|thumb|300px|[[クフ王のピラミッド]]断面図<br />1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.下降通路 5.未完の地下室 6.上昇通路 7.女王の間 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間 11.控えの間 12.脱出孔]]
 
[[ファイル:Orion constellation map.png|thumb|250px|オリオン座(図示)]]
 
スネフェルは更に[[ダハシュール]]において、勾配約43度で、側面が[[二等辺三角形]]の'''[[赤いピラミッド]]'''を建造。これによっていわゆる'''真正'''(しんせい)'''ピラミッド'''の外形が完成した。スネフェルが1人で3つもピラミッドを築いている点から導かれる王墓説否定論に対しては、メイドゥームのピラミッドは勾配がきつすぎて崩壊、同様に屈折ピラミッドは一定の高さ以上にできなかったので挫折した妥協の産物でしかなく、最終的に43度のピラミッドが誕生した、という反論がなされてきた。
 
世界一高いピラミッドは、スネフェルの次の[[クフ]]王によって紀元前2560年頃に[[ギーザ|ギザ]]に築かれた[[ギザの大ピラミッド]]で、勾配は51度52分。底辺は各辺230m、高さ146mに達する。またこれは14世紀に[[リンカン大聖堂]]の中央塔が建てられるまで世界で最も高い建築物であった。第2位の[[カフラー王のピラミッド]]もこれに匹敵する、底辺215m、高さ143.5mである。この2つに隣接する[[メンカウラー王のピラミッド]]は何故か規模が縮小し、底辺108m、高さ66.5mである。この王の威光が前二代の王と比してさほど劣るものではなかったと伝えられることから、縮小の理由は謎とされている。3つはギザの[[三大ピラミッド]]と呼ばれ、世界有数の観光地となっている。これらのピラミッドはもともとは表面に石灰岩の化粧板が施されており、(現在のような段状ではなく)傾斜のある滑らかな面でできた四角錐で、全体が白色に輝いていたのだが、遺跡を保護するという概念がなかった時代に、その化粧板が剥がされて[[カイロ]]市街地の舗装に使われてしまい、現在のような姿となった。化粧板は現在ではカフラー王のピラミッドの頂上辺りとギザのピラミッドの土台元に僅かに残っているのみである。また、ピラミッドの頂点にはベンベン石(キャップストーン)と呼ばれる四角錐状の石が置かれた。
 
この[[三大ピラミッド]]および[[ナイル川]]の(当時の)流れ、そして他の多数のピラミッドとの配置に着目し、ピラミッド群は現在から1万500年前の[[天体]]の配置を模したものであるという説もある。すなわち、ナイルが[[天の川]]で、三大ピラミッドが[[オリオン座]]のベルト、即ち中央を横切る三つ星に相当、他のピラミッドも[[天体|星]]の位置に対応しそれを反映しているということである。三大ピラミッドのうち、メンカウラー王のピラミッドが他の2つの頂点を結んだ線からずれている点、大きさも他の2つよりも小さいことについて説明する有力な説とも言われている。ただし、この説はエジプト考古学庁には認められてはいない。ピラミッド建造年代を定説通りとした場合、建造当時はエジプトではオリオン座は地平線すれすれの位置に見えていたはずで、それほど目立たないうえに、実際にオリオン座の三ツ星を模したならそのような記録があってもよいはずである。
 
==== 衰微 ====